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 2016年度支部例会スケジュール

■年間スケジュール

2016年4月9日
2016年5月21日
2016年6月25日
2016年9月24日
2016年11月12日
2016年12月10日
2017年1月28日
2017年3月25日

 

〈12月例会のお知らせ〉

2016年12月10日(土)午後2時より
   慶應義塾大学 三田キャンパス  
研究室棟A・B会議室


シンポジウム

現代アメリカ小説における「保守」の諸相

司会・講師:山口和彦(東京学芸大学)
講師:深瀬有希子(実践女子大学)
講師:中谷崇(横浜市立大学)
講師:渡邉克昭(大阪大学)


<概要>

    アメリカ政治は約30年の周期で保守とリベラルが繰り返し交代してきたと論じたのはアーサー・シュレジンガー・ジュニアだった(『アメリカ史のサイクル』1986年)。だが、現在、政治にとどまらず、「アメリカ」や「アメリカ人」の言説を規定してきた「保守」対「リベラル」という枠組みそれ自体が無効化していることは、今回の大統領選におけるトランプ現象とサンダース現象がコインの裏表であったことを見ても明らかだろう。
    その一方で、アメリカ文学はもとより人種的・階級的・ジェンダー的に分裂した、あるいは多様な「アメリカ」や「アメリカ人」を描き出すことにより、逆説的に、「アメリカ」とは何か、「アメリカ人」とは何かを、繰り返し問うてきたのではなかっただろうか。とりわけ、現代アメリカ文学は、「保守」対「リベラル」という言説的枠組みの喪失や定義不可能性を自明の理としながら物語を紡いできた側面が大きいと言えるだろう。
    本シンポジウムでは、特定の歴史的・社会的・文化的状況を意識しながら、現代アメリカ小説に表現された「保守」なるものの諸相について、用語の振幅自体も射程に入れつつ、多角的に考察する。登壇者それぞれの議論であぶり出される「保守」の定義や様相が相互矛盾するものであっても、そのこと自体がさらなる「保守」についての(同時に「リベラル」についての)議論を呼び込み、現代アメリカ文学・文化を再考するきっかけになれば幸いである。

ニューディール・リベラルと「保守」の倫理
コーマック・マッカーシーの『果樹園の守り手』

山口和彦(東京学芸大学)


<発表要旨>

    リチャード・ホフスタッターは1930年代のニューディールに、先行する二つの社会改革運動(ポピュリズムとプログレッシヴィズム)との連続ではなく断絶を見出し、その無秩序さを示唆した(『改革の時代』1955年)。幾多の論者も、(後の赤狩りの遠因ともみなされる)一部の反対派の激しい敵意を生み出した要因として、アメリカ社会・国家のパラダイム変化を企図したニューディール・リベラルの理想がはらむ暴力性と、「法」と「倫理」の乖離などを指摘している。
    この文脈において、本発表では、ニューディール期のテネシー州東南部を舞台とする『果樹園の守り手』(1965年)を題材に、コーマック・マッカーシーの作品に通底する「保守」性について考察する。この小説では、「社会保障制度」や「すべての者に保険を」と謳った福祉国家的体制による個人に対する管理統制、それにともなうアパラチア山岳民の「自然」や「文化」の消滅が描かれると同時に、アンチノミアン的・市民的反抗の姿勢を貫く「果樹園の守り手」が神秘化/審美化される。この(メタ・)イニシエーションの物語の要諦は、作者のオルター・エゴと目される主人公の少年が「保守」の継承、というより「伝統」を創造する生き方を選び取る点にあるのだが、その立場が「家族」や「国家」の喪失にせよ、それらからの解放にせよ、自己の「保障」や「保険」が担保されない状態として曖昧に表象されることの意味を歴史的に考えたい。

 

モリスンの『ホーム』にみる
「保守」としてのセルフ・ヘルプ

深瀬有希子(実践女子大学)


<発表要旨>

    かつて1930年代こそ連邦作家計画による雇われ作家であったゾラ・ニール・ハーストンは、50年代に入って起きた共和党から民主党へという黒人有権者の変化に異議を唱えた。その議論のなかで彼女は、そもそも「リベラリズム」という言葉自体が不平等を前提とし、社会的優位に立つ者のみに与えられているゆえ、「リベラル」な白人や「リベラル」な共産主義者はいても「リベラル」な黒人というのはいないと述べた。
    トニ・モリスンの『ホーム』(2012年)は、上記の論が展開されたのと同時期のジョージア州はアトランタ周辺および朝鮮半島を舞台に、黒人兄妹の愛を描いた物語である。貧しい幼少時代をともに過ごしたのち、兄フランクが人種統合された軍隊の一員として朝鮮戦争に出兵すると、妹イシドラは結婚してアトランタへ移り住む。共同体の助けをもとに個人が成長を遂げるというテーマはモリスン作品に一貫しているが、本小説では黒人女性が自助自立の必要性を説く姿がより強調されており、そこには黒人「保守」主義者ブッカー・T・ワシントンの「現在の位置でバケツを下ろせ」という主張の影響をみてとれなくもない。本発表では、アファーマティヴ・アクション廃止という動向も考慮に入れつつ、『ホーム』を中心に黒人の「リベラリズム」と「保守」の問題を検討してみたい。

 

冷戦終結とジョン・アップダイク的中産階級の変質

中谷崇(横浜市立大学)


<発表要旨>

    『さようならウサギ』(1990年)での「冷戦がアメリカ人の生活に意義を与えていた」というハリー・アングストロームの嘆きは当時の冷戦終結についての楽観的な言説と対照的であり、ネオコン的「保守化」に向かったその後のアメリカ合衆国を予見するかのようである。次の『ブラジル』(1994年)での「ブラジル」は、その後の自国の格差社会の相関物とも取れる。
    アップダイクのテクストには同時代の支配的な言説に逆らう言葉が多い。例えば『プアハウス・フェア』(1959年)でのフック老人の南北戦争論での北部批判は、公民権運動が成果を上げ変化するアメリカ合衆国への楽観主義の背後にある南部の他者化への懐疑を示す。大恐慌時代に生まれ育ち冷戦期の中産階級を描き続けたアップダイクの政治性を論ずる上では「いつ言っているか」という視点が必要である。
      彼の「保守」性と結びつけられた中産階級は、冷戦終結により「外部」がなくなって歯止めを失った資本主義のネオリベラリズム化により縮小した。その結果として両極化した社会でのルサンチマンの増大は、60年代には「南部的」なものとして他者化されていた差別的な思考の公言が許される社会を生んだ。そのような9.11後の時代に彼は『テロリスト』(2006年)などで、自らが描いてきた「アメリカ」の総括を行なっている。

 

生命の保守/保守の生命
デリーロの新作における永遠のゼロ

渡邉克昭(大阪大学)


<発表要旨>

    いわゆる「保守」というテーマでポストモダン・アメリカ文学を論じようとするとき、もっともふさわしい作家は誰だろうか?ドン・デリーロの名前が挙がることはまずないだろう。だが、「リベラル」の対抗軸としての「保守」でもなく、ラディカルな右派ポピュリズムでもなく、本来の意味での保守の原点に立ち戻るとき、デリーロ文学は、トランプ現象を惹起した不寛容な時代思潮の延長線上に垣間見えるもう一つの未来像を逆照射し、日常的な文脈において保守が拠って立つ基盤を定位し直すうえで、得難い手掛かりを与えてくれるように思われる。
    そのような仮説に基づき、デリーロ文学を語ろうとするとき、真っ先に思い浮かぶのが、『ポイント・オメガ』(2010年)の主人公リチャード・エルスターである。だが、この作品については近著『楽園に死す―アメリカ的想像力と〈死〉のアポリア』で既に論じたので、本シンポでは今年5月に上梓された新作『ゼロK』(2016年)に焦点を絞り、従来の「保守」をめぐる議論において等閑視されてきた「生命の保守」というバイオポリティカルな視座を提示してみたい。そのうえで、科学技術が進歩を遂げた未来に蘇るべく、人体冷凍保存術に魅了される大富豪と語り手の息子の関係に着目し、本来の意味での保守が二十一世紀にどのようなかたちで命脈を保ち得るのか、「永遠のゼロ」としての生命の保持が炙り出す逆説を、デリーロの晩年のスタイルに探ってみたい。

 

 

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忘年会

5時30分〜
慶應義塾大学三田キャンパス
ファカルティークラブ
一般五千円、学生二千円