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 2016年度支部例会スケジュール

■年間スケジュール

2016年4月9日
2016年5月21日
2016年6月25日
2016年9月24日
2016年11月12日
2016年12月10日
2017年1月28日
2017年3月25日

 

〈1月例会のお知らせ〉

2017年1月28日(土)午後1時半より
   慶應義塾大学 三田キャンパス  
研究室棟A・B会議室


研究発表

2016年から悩ましく読み直す人間(のToM)と世界(のIoT)
Gravity's Rainbowを一例として

講師:楢崎寛(無所属)
司会:波戸岡景太(明治大学)


<発表要旨>

    小説を読み、研究することは格段に悩ましい作業となっている。2016年末までに人間と世界に関する情報は格段に増加し、個人の理解力を超えた。そうした変化をダーウィニズムを踏まえた脳科学と、インターネットを中心とした情報科学を手掛かりとして、僕の管見から記憶に残った知見と作品を関連付けてみた。現代文学はその人間と世界を、信用に値する視点からまとめて提示するという、現代の読者にとって重要な役割を担い続けていると考える。一読者として年を重ね、フリーになって読みなおしても、現代小説の変容のなかで、ピンチョンが善戦してきた具体例を示す。
    段取りとして、タイトルに詰め込んだキーワードを解題し、2016年までの人間と世界の変化とその解釈を試みる。その背景をもとに、小説に描かれてきた人間と世界を振り返り、点描し、それに重ねてGravity's Rainbowに描かれた人間たちと世界をテーマに沿って取り上げる。第二次世界大戦を舞台に、1973年時点で、パラノイアとして幻視された危機を超えたような現時点から、前記の二つの手掛かりで再解釈する。
    個人の理解力を超えた現実を、あえて、僕なりの展望と解釈を一つの例として語ることが、今後の支部会を中心とした文学研究の交流と積み重ねの参考になることを期待する。

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分科会

近代散文

ギルバート・オズモンドはどこ出身か
The Portrait of a Ladyと南北和解のナラティブ

小島尚人(法政大学)


<発表要旨>

    ギルバート・オズモンドの生い立ちは、The Portrait of a Lady(1881)の登場人物たちにとっても、またこの小説の読者にとっても、謎として提示されている。イザベル・アーチャーの彼との結婚を好ましく思わない周囲の人々にとっては、彼の生まれが不明でどこの馬の骨かわからない、ということが難点のひとつとなっている。同時に、小説読者の立場からしてみても、ヨーロッパに居住・滞在するアメリカ人たちの生態をそれぞれの合衆国における出身地と関連させて描き分ける作者ジェイムズの手法に注意を払うならば、主要人物の中でほとんど唯一身元が明示されないオズモンドはきわめて例外的な存在として映る。
    オズモンドの出自を知る唯一の手掛かりとなるのは、彼の母親に関する記述である。それらの箇所に着目して解釈を試みた先行研究を参照し、その解釈の妥当性を検証しながら、本発表では別の見方、つまり「ギルバート・オズモンドは(少なくとも初版においては)南部人である」という読みを示したい。
    ヨーロッパ化されたexpatriateの代表格であるオズモンドが実は南部に出自を持つ人物として設定されていること、そしてジェイムズがこの作品を自らのAmericanaと呼びうる作品として構想していたことを踏まえ、本発表は、この小説と南北戦争後のアメリカ国内の言説との関係を探る。具体的には、イザベルの結婚の失敗の物語が、南北の和解と国民の再統合という言説を相対化するものであることを論じる。そして、そのように読むことで、小説の結末におけるイザベルの決断の意味についてどのように解釈ができるのか、という点についても考察を加える。

 

現代散文

リップスティック・キラー
Lolitaに見る消費世界

内田大貴(慶應義塾大学・院)


<発表要旨>

    ロシア人亡命作家ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)の小説『ロリータ』(1955)においては、第二次世界大戦後のアメリカ消費社会の様子が、アメリカ生まれの少女ロリータとヨーロッパ生まれの知識人ハンバート・ハンバートの価値観の対比を通じて描かれている。あるいはそのような消費が前景化するアメリカ社会の傾向に対してハンバートが抱く嫌悪感が、様々な商品を消費するロリータへの愛情と入り混じり、その語りに表れる。
    ハンバートは様々な比喩やシンボルを巧みに用いて少女ロリータを描写する。とりわけその中でも、彼女が身につける真っ赤な口紅は、ハンバートとロリータの逃避行に終止符を打つ要因として重要な役割を果たしていると同時に、写真家バート・スターンが撮影した、スタンリー・キューブリックによる映画版『ロリータ』(1962)のポスターの影響もあってか、ロリータを表象する上で極めて特徴的なオブジェクトでもある。また、キューブリックの映画版『ロリータ』以降に出版されたペーパーバック版の表紙では、口紅をつけた少女や、さらには口紅そのものが描かれたものまであり、口紅はロリータという少女像の形成において非常に重要な要素の一つになっている。本発表では、ロリータが口紅をつけていることが作中でどのような機能を持ち、また物語そのものへと影響を与えているのかということを、同時代の大衆文化も踏まえつつ検討する。

 



Emily Dickinsonの詩作にみるピクチャレスク

冬木詠子(早稲田大学・研究生)


<発表要旨>

    後に「アメリカン・ルネサンス」と称される、十九世紀初期から中葉にかけてのアメリカにおける文化風潮を特色づける要素の一つとしてあげられるのが、その前世紀の英国に起源を発する美的概念「ピクチャレスク」である。現実の自然の中に絵画的な理想/観念的風景を見出そうとすることから興ったその理念は、やがて新興国アメリカに伝わると一種のナショナリズム的自然賛美と結びついて社会現象となり、文学のジャンルでも自然をピクチャレスク的観点から描き出す多くの作品が生み出された。
    今発表では、ディキンスンの詩作に同時代のピクチャレスク・ブームが与えた影響を背景となる文化や彼女の暮らした環境を踏まえつつ論じてゆく。彼女の作品の各所には多彩なピクチャレスク的モチーフがみられ、さらにその一部はピクチャレスクという概念の本質自体に迫ろうとするものであるにもかかわらず、ディキンスンとピクチャレスクとの関連性は当時の他の代表的文学者らに比しても、これまでほぼ着目されずにおかれてきたものであった。
    それらピクチャレスク的要素を含む一連の詩の中から、今回は特に1863年の作と推定される“Have any like Myself”(F723 / J736)に焦点を当てることとしたい。ピクチャレスクの内包する自然と人工、現実と虚構との対比が、ディキンスン自身がピクチャレスク同様に作為の芸術であると認識していた詩作の中でどう展開されるかを読み解くものである。

 

演劇・表象

ソーシャル・ネットワークと記憶の表象
Adam Johnson, “Nirvana”とLouise Erdrich, “Domain”を手がかりに

日野原慶(大東文化大学)


<発表要旨>

    インターネットの発達と、それが可能にしたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の流行は、人間の記憶のあり方を大きく変えた。現代のアメリカ小説を読んでいくと、このような理解を前提とする作品が、特に2010年以降、少なからず発表されているのだということに気づかされる。例えばFacebookが2004年、Twitterが2006年にサービスを開始し、数年間で急成長を遂げたのだという事実を考慮するのならば、ウェブを介したSNSとは、明白に今世紀的な現象のひとつであると言える。この現象に対する応答を試みる文学作品が生み出されてきているのである。そして、SNSの世界的な流行をもたらした現代のIT技術が生ぜしめる、人間の記憶の脱身体化、外在化、そして再(擬似)身体化といった状況への強い関心が、それらのテクストのいくつかにおいて共有されている。具体的に、いかなる方法でその関心に文学的表現が与えられ、いかなる意見の表明がなされているのかという点を明らかにすることが本発表の目的である。分析の主要な対象として取り上げられるのは、2010年に発表されたAnthony Doerrによる“Memory Wall”、2013年に発表されたDave Eggersによる長編小説The Circle、2014年に発表されたLouise Erdrichによる“Domain”、2015年の全米図書賞を受賞したAdam Johnsonによる短編集Fortune Smilesに収められた“Nirvana”などである。いずれの作品も、サイエンス・フィクションを思わせる設定を導入しつつ、現代における記憶の変容についての物語を紡いでいる。まずは、「ニルヴァーナ」と「ドメイン」との間に見られる共通点を指摘することを通して、SNSに応答した文学的表象の特徴と見做されうる点を抽出する。その点が、他のテクストにおいては、どのように共有されているのかを確認することで、議論を進めていく。