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 2016年度支部例会スケジュール

■年間スケジュール

2016年4月9日
2016年5月21日
2016年6月25日
2016年9月24日
2016年11月12日
2016年12月10日
2017年1月28日
2017年3月25日

 

〈9月例会のお知らせ〉

2016年9月24日(土)午後1時半より
   慶應義塾大学 三田キャンパス  
南校舎4 階 445 教室(予定)


研究発表

Jonkonnu/Gens inconnu
Michelle Cliff, Free Enterpriseにみるポストコロニアル・アイデンティティ

講師:庄司宏子(成蹊大学)
司会:岩瀬由佳(東洋大学)


<発表要旨>

    17世紀末から奴隷制度の時代、ジャマイカをはじめカリブ海の島々からアメリカ南東部の海岸線の町にいたる西半球の英領植民地に、黒人奴隷によるアフリカ起源の「ジャンコニュ(Jonkonnu)」という仮面舞踊の風習が広がっていた。ジャンコニュは、その発展の過程で徐々にヨーロッパ文化の影響を受けてクレオール的に変容していく。その舞踊は、イギリスの伝統行事やインド植民地化の歴史、植民地社会のモチーフをその仮装や歌曲に取り入れることで、奴隷たちによるイギリスの植民地支配や奴隷制度に対する批評スペースともいうべきものをつくり出していた。
    ジャマイカ系アメリカ作家ミシェル・クリフの『フリー・エンタープライズ』(1993年)は、1859年のジョン・ブラウンによるハーパーズ・フェリー襲撃に資金提供をした黒人女性メアリー・エレン・プレザントを描いた小説である。実在および虚構の人物を交錯させながら、19世紀のアメリカスにおける奴隷制度廃止運動のインターナショナルなコミュニティを幻視するこの小説において、クリフはジャンコニュを模した“gens inconnu”というアイデンティティを登場人物に纏わせている。クリフはジャンコニュという奴隷制時代のコロニアルな文化的モチーフをその小説においてポストコロニアル・アイデンティティとしてどのように展開しているのか、考察してみたい。

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分科会

近代散文

ヨネ・ノグチのThe American Diary of a Japanese Girlにみられる、
詩人としての「弁明」

星野文子(和洋女子大学)


<発表要旨>

    本発表では、ヨネ・ノグチがニューヨークで出版した The American Diary of a Japanese Girl (1902)にみられる、ノグチの詩人としての姿勢や詩論を考察する。本書は、カリフォルニアで2冊の詩集を刊行し日本人詩人として名前が知られていたヨネ・ノグチが“Miss Morning Glory”のペンネームで出版した小説である。これまであまり評価されてこなかった本書からは、ジャポニズム最盛期にあった日本小説へ一石投じようとしたノグチの意図が読まれてきた。朝顔嬢の渡米および滞在記だがプロットが明確でないため捉えにくく、また、ヨネ・ノグチは本書の編集を通し、後の彫刻家イサム・ノグチの母レオニー・ギルモアと出会ったことから、その周辺研究の方が盛んであったといえる。
    今回試みたいのは、この小説に見られるノグチの詩論であり、詩人としての姿勢の弁明を読むことである。ノグチは「私は詩人であると信じて、過去三十年を経て来たものである。私の価値は私の詩で定められたいと希望せざるを得ない」と記しているが、この英語小説も、ノグチの詩人としての再評価に繋がるのではないだろうか。一日本人少女のアメリカ体験の中に、かなりの頻度で論じられる詩論について注目することで、ノグチの詩へのこだわりを明らかにしたい。

 

現代散文

帝国主義・アメリカ・生政治
戦後小説としてのトマス・ピンチョンV.

阿部幸大(東京大学・院)


<発表要旨>

    トマス・ピンチョンの処女長編V.は1963年に刊行された。それから半世紀を経て、2015年には例えばピンチョン研究史上はじめてV.論のみで構成された論集Dream Tonight of Peacock Tailsが発行されるなど、V.は再び注目を集めている。本発表はこうしたV.論の再燃とその成果とに鑑みつつ、同書を読みなおす。V.における「物語の現在」は1956年のニューヨークだが、それとは時間的・空間的にかけ離れたエピソード群が小説全体の約半分を占めている。前者においてはプロフェインというユダヤ系アメリカ人の青年が主人公としてふるまい、後者の各章をステンシルという中年のイギリス人が語るという作りになっており、V.を論じるにあたってはこれらの「プロフェイン章」と「ステンシル章」とをいかに統合するかがひとつのポイントとなる。本発表はこれらを、権力という観点から結びつけることを試みたい。ステンシル章が植民地主義的欲望を扱い、プロフェイン章が繰り返しアウシュヴィッツとヒロシマに言及することから、この小説がヨーロッパ帝国主義とその帰結とを主題のひとつとしていることは明らかである。だがそれだけではなく、第二次世界大戦後のアメリカに生きるプロフェインは、生政治という新たな権力が台頭しつつあることを、はやくも察知しているように思われる。V.の二元的な構造は、20世紀における権力形態が、第二次世界大戦を画期として帝国主義的な支配モデルから生政治的な管理システムへと移行したことに対するピンチョンの洞察を踏まえたうえで考察されなおすべきである。本発表においては、この小説がプロフェインによる抵抗の「失敗」を描くことによって、いわば陰画的に生政治という権力に対して批判を向けていることを示しつつ、あらためて小説全体を論じることで、V.の今日的な意義を見出すことを試みる。

 



Langston Hughesの1920年代初期詩篇を読む

斉藤修三(青山学院女子短期大学)


<発表要旨>

    「私たちはまだヒューズの業績の広さを少なくとも理解し始めたばかりである」と述べたのは、『ラングストン・ヒューズ事典』(2002)の著者H・オストロムだった。たしかに“The Weary Blues”や“The Negro Speaks of Rivers”などのアンソロジー詩を通じ、1920年代のハーレム・ルネッサンスで活躍した黒人詩人として、ヒューズの名はアメリカ文学史の中で確固たる地位を占めてはいる。しかしそれはほんの一面でしかないようだ。850篇以上の詩はもとより、小説・劇・評論・翻訳などじつに多方面に渡る膨大な仕事ぶりは、2003年に決定版として完結した『全集』(16巻)によってようやくその巨大な全貌が見晴らせるようになったばかり。ヒューズ研究はまだ「成長段階」(オストロム)にある。
    とはいえ、詩が業績の中核を占めることはまちがいなさそうだ。そこで本発表では初期詩篇を取り上げ、詩人ヒューズ誕生の経緯をまずは検証したい。24歳のデビュー作となったThe Weary Blues (1926)、翌年の第二詩集Fine Clothes to the Jewから作品をいくつか取り上げ、同時期に雑誌に掲載され、ヒューズ詩学のエッセンスとして今なお重要視されるエッセイ“The Negro Artist and the Racial Mountain”を参照しながら、「黒人」と「詩人」という二つのアイデンティティが、ブルースやジャズ、黒人霊歌などヴァナキュラーな「声の文化」(W・オング)を通じて接続される過程を考察する。

 

演劇・表象

オクソニアン・ギャツビー
アメリカ遠征軍の英仏短期留学支援制度

三添篤郎(流通経済大学)


<発表要旨>

    第一次世界大戦直後の1919年2月から6月までの間、フランスに駐留していたアメリカ遠征軍の兵士は、英仏の大学で教育を受けることができた。多くの兵士は、アメリカ遠征軍がフランスに急造したボーヌ大学に在籍したが、学力の高い限られた数の米兵は、既存の名門大学に短期留学することができた。なかでもとりわけ優秀な159名は、オクスフォード大学へ派遣された。この留学制度を使ってオクスフォード大学に5ヶ月間在籍した復員兵を描いた小説が、F・スコット・フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)である。作中ジェイ・ギャツビーは、メリトクラシーの理念によって留学に成功すると、帰国後はオクスフォード大学の学寮を模した邸宅を建築するなど、オクソニアン・ギャツビーとして自己造型していく。イェール大学卒の語り手ニック・キャラウェイと恋敵トム・ブキャナンが、ギャツビーに対して示す愛憎入り交じる態度とは、オクスフォード大学の移入を目の前にした、戦後合衆国民の反応として捉え返していくことができる。この構図を念頭にテクストを読み進めていったとき、そこから立ち現われてくるのは、「戦争文学」あるいは「狂騒の20年代」の物語としての『偉大なるギャツビー』の姿では、もはやない。そこに新たな輪郭を結び始めてくるのは、第一次世界大戦と1920年代のちょうどあいだに位置する5ヶ月間の意義を問いただしてやまない、アメリカ遠征軍短期留学小説としての『偉大なるギャツビー』の姿である。