〈2017年度9月例会のお知らせ〉

〈9月例会のお知らせ〉

2017年9月30日(土)午後1時半より
慶應義塾大学 三田キャンパス
研究室棟A・B会議室

研究発表

魔女になる・・か、聖徒になる・・
セイラム魔女裁判での告白を巡る攻防

講師:難波雅紀(実践女子大学)
司会:増井志津代(上智大学)

 

 

<発表要旨>

    17世紀末になると、ニューイングランドのイギリス植民地は、マサチューセッツ湾植民地を筆頭に、タウンの増殖によって自治範囲を拡大し、宗教的あるいは経済的、政治的、軍事的にも大きな力をもつようになっていた。そこで、イギリスは、植民地の勢力を牽制するとともに、とりわけ植民地の経済力によって本国の財政強化を図るため、1684年には下賜していた従来の特許状を廃止する。その結果、マサチューセッツ湾植民地は自治権を失い、ニューイングランドにある他のイギリス植民地と同様に直轄王領植民地にされてしまう。植民地が政治的自治を失い、イギリスの直接支配を受けるというのは、ピューリタンのアイデンティティの喪失に繋がりかねない重大事だった。なぜならば、そこには、救済を約束された見える聖徒であった自分が腐敗した英国国教会を構成する罪人に堕ちるよう強いられる危険性があったからだった。こうした宗教的、政治的動揺の中、マサチューセッツ湾植民地では、従来の自治の伝統を重んじる一派と、本国との緊密な連携を模索する一派との対立が深まっていった。
 他方、1662年には半途契約が導入されていたが、それは資格を緩和することで教会員の世代間連鎖を首の皮一枚で維持し、それによって教会の存続を担保していく苦肉の策だった。しかしながら、結果は、神学の形骸化と信仰の希薄化、それに伴う道徳の前景化に拍車をかけていった。セイラムにおいても、そうした宗教情勢の変化は如実であり、それは、沿岸地域のタウン教会と内陸にあるヴィレッジ教会との間での対立という構図を新たに生みだしていた。沿岸地域は商業中心であり、個人主義的、功利主義的な風潮が強く、宗教的寛容を求める空気が拡がっていた。そのため、タウン教会は、住民の公民権に基づく政治参加の拡大を視野に入れ、教会員資格を緩和してより多くを教会に迎え入れていく方針を採っていた。一方、ヴィレッジ教会は、政治的、宗教的な伝統を重んじるため、他では導入されて久しい半途契約を頑なに拒んでいた。その結果、17世紀末には、セイラム全体における共同体としての統一性は損なわれ、住民同士の衝突が多発していく中で、改革派のタウン教会と守旧派のヴィレッジ教会との間での宗教上、政治上の主導権争いが深まっていた。
 主導権争いに根ざす対立関係は、共同体の内部にあって、人々に緊張と不安をもたらす要因だった。加えて、セイラムの外部には、さらなる緊張と不安を住民に駆り立てる状況が展開していた。というのも、セイラムを北上してマサチューセッツ湾植民地の辺境を出ると、そこはピューリタンにとっての蛮地だったからだ。それは植民地の支配が遠く及ばない荒野(wilderness)で、そこに出没するネイティヴ・アメリカンは、イギリスの宿敵フランスと結託して辺境に侵入し、イギリス植民地人との反乱や小競り合いを繰り返してきた。そうした摩擦は、たとえばピーコット戦争(the Pequot War, 1636-38)を皮切りに、17世紀末には、ウィリアム王戦争(the King William’s War, 1689-97)の勃発に至っていた。セイラム全体が魔女にまつわる混乱に陥る頃、辺境ではイギリス植民地人とネイティヴ・アメリカンとの対立はいっそう激化していた。そのため、セイラムにも、境界線の外に拡がる森から反乱を起こしたネイティヴ・アメリカンが奇襲してくる危険は常にあった。奇襲は、捕囚体験記(captivity narrative)や戦争話の中で幾度となく伝えられ、牧師の説教をとおして頻繁に語られるテーマにさえなっていた。奇襲に晒されるという共同体の外部から襲ってくる恐怖もまたセイラム全体を緊張や不安に包み込む要因だったのだ。そして、奇襲や戦争の話とともにセイラムに流れてきたのが、悪魔が魔女を従えて辺境を越え、セイラムに攻め入ってくるという風聞だった。17世紀末になってなお、魔女が存在するのを疑う者は少なかった上に、セイラムの住人たちは、繰り返される共同体内部での対立によって引き起こされた社会不安に困憊していた。だから、誰もが悪魔が魔女を操って攻めてくると信じてしまう状況だったのだ。魔女への恐怖は、ネイティヴ・アメリカンの奇襲や戦争への恐怖と手に手を携え、外部から住民たちの心を捕縛していったのだった。
 本発表では、17世紀末のセイラムが抱えるこうした宗教事情、社会情勢を踏まえつつ、セイラムの魔女裁判が、魔女というスケープゴートに敵対勢力を陥れることで共同体における権力を取り戻そうと謀る、巧妙な策略だったことをまず明らかにしていく。その上で、裁判や予備尋問での魔女の認否を巡る告白に焦点を当て、それが含意していた二つの救済について考える。具体的には、対極にいた二人のスケープゴート、ティテュバとレベッカ・ナース(Rebecca Nurse)の例を採り上げる。そして、ピューリタニズムのコンテキストにおいて両者の告白を捉えるとき、ティテュバのように、神を偽る嘘の告白によって魔女になることが、背教の証としてのこの世の救済を請け合う一方で、ナースが象徴するように、偽証を拒否して神への揺るぎない信仰を証することは、永遠の救済を約束された聖徒になることに他ならなかったことを明らかにしていく。

 

分科会

近代散文

剥ぎ取られた生を生きて
Henry JamesのThe Spoils of Poyntonにみる物と主体の関係性について

加茂秀隆(一橋大学・非)

<発表要旨>

    Henry Jamesが描く物と主体との関係とは如何なるものかという問いを出発点に、The Spoils of Poyntonを語る。Emanuel Swedenborgによる“Correspondence”(「照応」)の思想やTranscendentalismの影響の下、アニミズム的、或いは汎神論的とも呼びうる生ける有機的世界観を部分的な基底としたジェイムズの物語世界において、主体と物は有機的に照応する。だが同時に、19世紀以後の市場経済の中で商品として市場による操作の対象に人間も物も成り下がり、結果、その統合が瓦解した世界に人間は在るのだと彼は認識していたのではないだろうか。
 遺産相続権のない優れた審美眼を持つ未亡人Mrs. Gerethが、彼女の人格の一部(William Jamesが「物質的客我」と呼ぶもの)とでも言える蒐集した骨董品を、自らが認める審美眼を持つ女を用いて奪還せんとする同小説もまた、こうした認識の下で編まれていると言いうる。主客統合の媒体を「道具」と定義した場合、美を指標とした主体と物との有機的再統合という未亡人の目論みにおいて、ポイントンの骨董品は美的鑑賞の対象でありまた「道具」であると言える。だが、美への理想に促され「客我」が肥大化し理想が妄念へと転換する時、美と「道具」の二重性に亀裂が生ずる。更に、主客の蝶番の一切が「道具」ならばその範疇には人間をも含まれるが、そうした亀裂は、夫人が認める審美眼を有し、同時に夫人の蒐集品奪還の手段でもあるFleda Vetchとの間にも生ずる。ポイントンのスポイルされた物をめぐる物語は、物と主体の運命に関して何を示唆しうるのだろうか。

 

現代散文

不同意の遺産
ロードアイランドの伝統とJhumpa Lahiri

志賀俊介(首都大学東京・非)

<発表要旨>

    アメリカ人作家Jhumpa Lahiri(1967-)は、ベンガル人の両親のもとにロンドンで生まれ、1970年に家族とともにアメリカへ移住した経験を持つ。ニューイングランドのロードアイランド州で育ちながら、度々両親の故郷であるベンガル地方のカルカッタを訪れていた彼女は、ふたつの国の間でどちらにも属することのない根無し草のような感覚を抱くことになった。その葛藤は、短編集Interpreter of Maladies(1999)でのデビュー以来、彼女の作品を貫く主題となってきたと言ってよい。
 国境を越える人々を描き、様々な土地を舞台として選んできたLahiriが、出身地であるロードアイランドを自身の作品の中で積極的に扱ってこなかったことは意外な印象を与える。彼女がロードアイランドと自身の関係を見直すきっかけになったと思われるのが、State by State(2009)への寄稿である。アメリカの各州にゆかりのある文筆家や漫画家が執筆する中で、ロードアイランドについての文章を寄せているのがLahiriである。マサチューセッツ植民地から異端として追放されたRoger Williamsが建設者の一人となったロードアイランド植民地は、不同意を出発点としていると言え、Lahiri自身もその異質さに意識的であったことがうかがえる。
 その後発表された長編The Lowland(2013)において、SubhashとUdayanという兄弟を中心としながら主な舞台となっているのが、ロードアイランドとカルカッタである。ベンガル地方で共産主義革命を目指すナクサライト運動に従事する弟のUdayanと、海を渡りロードアイランドの大学院で研究活動に励む兄のSubhashは、形こそ異なるものの、旧世代への反抗という点では共通している。そして、この作品を貫いているものこそが、ロードアイランドの不同意の伝統ではないだろうか。
本発表では、ロードアイランド出身の作家としてのLahiriに着目し、その土地がもつ伝統や特異性がどのようにThe Lowlandに反映されているのかを考察する。

 

プロテストの声
Augustine Joseph Hickey Duganneと詩人の使命

澤入要仁(立教大学)

<発表要旨>

    Augustine Joseph Hickey Duganne(1823?84)は現在ほとんど忘れられた文人である。南北戦争の俘虜体験を語った『野営地と収容所』Camps and Prisons(1865)がかろうじて文学史の片隅に見えるくらいだ。けれども生前、その文業は多彩をきわめ、広範な読者を得ていた。たとえばジョージ・リパードばりの、ゴシック風味をきかせた都市ミステリー小説を書いた(1845?46)。生活共同体ブルック・ファームの機関誌ともいうべき『先駆』に詩を寄せ、理念を求めて生きる人々を讃えた(1846)。ジェイムズ・ラッセル・ローウェルの諷刺詩『批評家のための寓話』(1848)にならって、詩『晒し台の文壇』Parnassus in Pillory(1851)を匿名出版し、当代の作家詩人をあてこすった。ビードル社のダイム・ノヴェルを4種類刊行した(1861?62)。世界の市民社会の進展を論じた『政府の歴史』A History of Governments(1861)が「彼のもっとも知られた作品」であるという死亡記事さえある。
 しかし本発表では、彼の詩業、とくに詩集『鉄の竪琴』The Iron Harp(1847)に集められた作品を中心に論じたい。というのは、Duganneは「労働の詩人」としても知られていて、本詩集には「土地なき者たち」や「職人」のように、労働者の苦境を訴えたり、労働者の勇気を鼓舞したりする詩が収められているからだ。「労働の歌」や「詩人と民衆」のように、労働運動における詩の力や詩人の役割を説いた作品が集められているからだ。たしかに1960年代から70年代にかけてフォークソングが反戦運動や学生運動を支えた。けれども詩が19世紀の労働運動を支えたことはほとんど論じられてこなかった。Duganneの労働詩を探ることによって、19世紀アメリカ詩のuseのひとつを示唆したい。

 

演劇・表象

摩天楼と怪物
二つの世紀転換期における高層ビルの表象

坪野圭介(東京大学・特任研究員)

<発表要旨>

     19世紀末にシカゴで誕生した鉄骨高層ビルは、摩天楼(skyscraper)と呼ばれ、すぐにニューヨークをはじめとした大都市に広がり、20世紀にはアメリカを象徴する建築になった。その後、世界の都市に次々と建ち並び出した高層ビルは、次第にアメリカ固有のものというイメージを失い、特に1990年代以降は建設の中心地もアジアや中東地域へと移り変わっていく。2001年の同時多発テロ事件での世界貿易センタービルの崩落は、アメリカの摩天楼の時代の終わりを印象づける出来事でもあった。
 本発表では、20世紀と21世紀の世紀転換期がそれぞれアメリカ高層ビルの時代の「始まり」と「終わり」にあたっていることを踏まえ、この二つの時期の摩天楼の表象のされ方を、写真・詩・小説・映画などのメディアから検討する。とりわけ、その誕生から現在に至るまで、摩天楼がその表象のなかで一貫して「怪物」(monster)あるいは「怪物的」(monstrous)と形容されてきた事実に着目する。たとえば、シカゴの摩天楼をはじめて小説の主題にしたとされているHenry Blake FullerのThe Cliff-Dwellers(1893)において、すでに高層ビルは「現代の怪物」と書かれているし、2015年に公開されたRobert Lee Zemeckisによる映画The Walkでも、世界貿易センタービルはやはり「怪物」と名指されている。あるいは、King Kong(1933)をはじめとした多くの怪物映画は、怪物と摩天楼をほとんどつねにセットで描こうとする。摩天楼の「始まり」と「終わり」の時期を捉えた複数の作品を扱いながら、ときにこの建築様式を激しく称賛し、ときに激しく忌避する際に用いられる、怪物という概念の射程を考察してみたい。