〈2019年度12月例会のお知らせ〉

〈2019年度12月例会のお知らせ〉

2019年12月14日(土)午後2時より
慶應義塾大学 三田キャンパス
北館ホール

 

シンポジウム

 

ポエトリーリーディングの現在位置

 

司会・講師: 関根路代(日本工業大学)

講師:高橋綾子(長岡技術科学大学)

講師:斉藤修三(青山学院女子短期大学)

講師:石田瑞穂(詩人)

共催:慶應義塾大学藝文学会
http://web.flet.keio.ac.jp/geibun/index.html

 

     本シンポジウムでは、ポエトリーリーディングの歴史を再考し、その現在位置を探る。アメリカでは、プロアマ関係なくポエトリーリーディングが盛んに行われている。参加者が制限時間内に詩を朗読し、そのパフォーマンスの優劣を競う「ポエトリー・スラム」といった大々的なものから街角のカフェで行われるものまで様々にある。職業、年齢、性別、文化背景の如何を問わず、詩を人前で朗読したり、聴衆のひとりとして詩を聞く機会が広く準備されている。
 1955年10月、シックスギャラリーで行われたポエトリーリーディングにおいてビートが誕生して以降、ポエトリーリーディングが広く行われるようになった。彼らは詩を書物に記された言葉と朗読する音声、会場に居合わす観衆が織りなす幾重にも運動的なテクストとして提示した。そのような形で詩を大学(学問の場)からより公共的な場所へと連れだした。
 そのような性質上、ポエトリーリーディングは学問研究の領域において次第に周縁化されていった。ポエトリーリーディングに関する研究は、Peter Middleton、Lesley Wheeler、Tyler Hoffmanによってなされてきたが、詩人によって「書かれた詩」と、公のパフォーマンスによってリアルタイムで立ち上がる「出来事としての詩」の関係性やそれが詩の解釈に及ぼす効果、そのようなパフォーマンスが「オリジナル」の詩のテクストに遡行的に付与する身体性の問題など考案すべき話題は多々あるだろう。
 近年、iTunesやアマゾンのサービスによって、オーディオブックに注目が集まっている。文学作品を「読む」とはどのようなことか、その際の「声」の役割とは、「聞く」という体験は読者(聴衆)に何をもたらすのかなど、ポエトリーリーディングという非常に「古い」パフォーマンスが今この時代に投げかける諸問題について、本シンポジウムでは各講師によるケーススタディーを基に、他分野にも開かれる話題として聴衆と共に考えてみたい。

 

 

アン・ウォルドマンの詩とパフォーマンス

高橋綾子(長岡技術科学大学)

<発表要旨>

    アン・ウォルドマン(1945~)はアレン・ギンズバーグと比べ二世代ほど若いため、女性ビート詩人の第三世代に属する詩人であり、ボーイズクラブ的傾向をもつビート詩人のなかで、女性詩人たちが無視され、忘れ去られたことを代弁する役割を担ってきた。ウォルドマンはギンズバーグとともに、ナロパ大学における「ジャック・ケルアック詩の学校」(別名Summer Writing Program)を1974年に設立、その後も積極的に推進し、若い世代にクリエイティブライティングとともにポエトリーリーディングも教えてきた。本発表では、ウォルドマンがアメリカのポエトリーリーディング、或いはポエトリーパフォーマンスにおいて果たした役割について、これまでの活躍に触れつつ、家父長制に基づく規範的文体を崩す女性的文体とその後の変化、また彼女の声によるテキストの活化について考察するものである。

 

マイノリティ詩人とリーディング
アメリカ現代詩を「よりましに」するアンソロジー

斉藤修三(青山学院女子短期大学)

<発表要旨>

    本発表ではマイノリティ詩人にとってポエトリーリーディングがどのような意味を持つのかを考える。発端はBettering American Poetryの読書会だった。この詞華集は、ある“hoax”(詐称・偽作)事件をきっかけとして、若手マイノリティ詩人たちによって編まれ、現在まで年一回刊行されている。
 事件のあらましを述べる。毎年異なる著名詩人をゲスト編者に迎え、その年に発表された膨大な作品から「ベスト」を厳選する詞華集The Best American Poetryで、2015年の編者Sherman Alexieの選んだ中に中国系女性らしき詩人の作があったが、じつはこれ、とある白人男性詩人が何度も落選した自作の採用を目論み、アジア系らしき架空の偽名をつけて再投稿したものであることが発覚。保守論壇は、鬼の首でも取ったように編者の“racial nepotism”=二重基準を槍玉にあげる始末。詩が活字を通じてのみ受容されるときの盲点を露呈させた。
 一方、女性や有色少数派、LGBTQIA+など若きマイノリティ詩人たちは、この事件を“neocolonial charade, a brazen invocation of yellowface minstrelsy”として糾弾。このような詞華集が「ベスト」とされるアメリカ詩の現状を「よりましに」すべく、オルタナティブな詞華集を刊行し始めた次第。初刊号には有名人編者の代わりに10名ものマイノリティ編者が名を連ね、各自の基準で選んだ70編を超える作品が詩人の写真付きで掲載。しかもその多くは活字のみならず、詩人自身の朗読でもネット上で聴ける。活字の「名前」が喚起するバイアスや先入観に対し、自己のアイデンティティを賭して抗うマイノリティ表現者の肉声を何人か動画で紹介し、リーディングが持つ意味を考えてみたい。

 

「声」を聞くことのテクスチャー

関根路代(日本工業大学)

<発表要旨>

    ポエトリーリーディングはこれまでビートに限らず、Walt Whitman (1819-92)、Vachel Lindsay (1879-1931)、Robert Frost (1874-1963)、William Carlos Williams (1883-1963)など様々な詩人によって行われてきた。文学史上重要なものとしては、1961年ジョン・F・ケネディ大統領就任式におけるフロストの朗読や、1966年Robert Bly (1926-)らによるベトナム戦争反戦のポエトリーリーディングなどがある。本発表では、このようなポエトリーリーディングにおいて、詩人や聴衆に起こる身体的作用について考察する。そのために、まずホイットマンの詩“Vocalism”を検証し、詩を「声」に出して読むことの意味を考える。次に、近年の新たなポエトリーリーディングの試みとして、Robert Pinsky (1940-) が桂冠詩人在任時に立ち上げたFavorite Poem Projectを紹介する。このプロジェクトはその名の通り、一般の人々から「お気に入りの詩」を募集し、それをその人たちに読んでもらい、その様子を録音・録画したものをアメリカ議会図書館のアーカイブに保存するというものだ。その一環としてポエトリーリーディングが行われた。以上を題材に、聞くという体験がポエトリーリーディングの中心にあり、「声」を「声」として認識する受信者・媒介者としての聴衆の拡大がそこでなされていることを明らかにする。

 

「K=A=K=E=A=I」

石田瑞穂(詩)×レンカ(踊り)

<発表要旨>

    詩とジャズが対話する新詩集『Asian Dream』(思潮社)から、ポエトリー・リーディングと踊りのセッション。今回は、ジャズの音源をつかわず、無音楽で、石田瑞穂が朗読し、レンカが詩に呼応して踊る。
 ジャズは即興性の高い音楽であり、その醍醐味はミュージシャンどうしによるセッション、かけあい、にある。古典芸能や蕉翁俳句のみならず、千利休が茶の持て成しと応えの美を「掛合」という言葉で表現していることも興味深い。
 ポエトリー・パフォーマンスの後半は、石田瑞穂がレンカの動作をヒントに詩をインプロヴィズし、レンカがその詩をもとに身体でポエジーを奏でる「かけあい」(還流形セッション)を試みる。音源を使用しないことで、詩の言葉と踊りの肉体が、ジャズを生起させることができるか否か。そのポイエーシス(詩的創造)を問いかけてゆく。

 
 

忘年会

 

会場:慶應義塾大学三田キャンパス ファカルティクラブ

時間:午後5時30分〜

会費:一般6000円、学生2000円