〈 12月例会のお知らせ 〉
12月14日(土)2時より
慶應義塾大学三田キャンパス 第一校舎 122 教室
*状況によりオンラインに変更する可能性がございます。
その際は支部HPでお知らせいたしますので、
事前にご確認くださいますようお願い申し上げます。
Lyric “I”の冒険
20世紀後半の抒情詩のゆくえ
司会・講師:飯野友幸(上智大学)
講師:金澤淳子(東京理科大学)
講師:江田孝臣(早稲田大学名誉教授)
講師:田中裕希(法政大学)
コメンテーター:舌津智之(立教大学)
日本では和歌・俳句の長い伝統が積みかさなったあとで近代になって抒情詩が移入されたのに対して、古代ギリシアのサッポーの時代から西洋で受け継がれてきた“lyric”は、より広く複雑な概念をおびてきた。それだけに、英米でもlyricは詩における基本ジャンルでありながら、漠然とした概念にとどまっているのも現状ではないだろうか。今回のシンポジアムでは、20世紀後半以後に時代をしぼり、第二次世界大戦後にモダニズムから脱した詩人たちから始めて、21世紀のエスニック詩人隆盛の時代までの変遷をあとづける。その際、かつてM. H. Abramsは18世紀後半に完成した抒情詩をGreater Romantic Lyricと命名し(1965)、明解な(明解すぎる)format――自然景観と向きあった語り手が瞑想に入り最後はepiphanyの瞬間に何らかの認識・結論に到達する――を提示したが、それが現代でも有効かどうかを見さだめる。絶対的な語り手を前提としていいのか、人間が自然の優位に立つかのように語っていいのか、など20世紀後半の批評理論の展開に照らしたとき再考が必須だからである。そのため、lyricにおける語り手“I”の変わりゆく方向性を追うことで議論を明確にしたい。
Louise GlückとDenise Levertovのlyric sequenceにおけるlyric “I”
江田孝臣(早稲田大学名誉教授)
<発表要旨>
二十世紀後半のlyricの変容の要因は多様であり捉え難いが、少なくともその一つはlyric sequence(長大なlyricもしくはepic化したlyric)の出現によるlyricの自律性の喪失ではなかろうか。あるいは、lyricの自律性という理念が幻だったことがはっきりした、と言うべきか。
初期詩集をのぞくLouise Glück (1943-2023)の詩集の大半が、同一主題のもとに短いlyricを連ねて一冊の長篇詩を紡ぎ出すlyric sequenceの形を取っている。その最も成功した例がAverno (2006)だと考えるが、この発表では、自伝的言説と神話的言説の利用法の違いを手がかりに作品の構造分析を試みる。
初期のRobert Lowell (1917-77)やStanley Kunitz (1905-2006)の影響から脱してArarat (1990)を書いた頃のGlückは告白派第二世代と見なされる時期もあったが、告白派的なlyric “I”からの脱却の苦闘が独自の神話世界の創造につながったように思える(子どもの頃からYeatsやBlakeに親しんだことが与って力になっただろう。Plathの神話的思考の影響も考えられる)。
一方で、Glückとは対照的でもあり(かたやapolitical、かたや政治的左翼)、共通するところ(ユダヤ系、早世した姉の存在)もあるDenise Levertov (1923-97)におけるlyric “I”との比較によって、Glück詩の特質を浮かび上がらせたい。比較対象として取り上げるのは、Charles Olson (1910-70)のMaximus Poems (1960)と並んでモダニズムの長篇詩を継承すると思われる代表作To Stay Alive (1971)、なかでもその中核を成す”Staying Alive”。ベトナム反戦運動へのengagementを主題化したlyric sequenceである。
Glückのlyric “I”が自伝と神話のあいだを往還するとすれば、Levertovの自伝的なlyric “I”はprivateな領域とpublicな領域を行き来するというのが想定される結論である。
Elizabeth Bishopの風景描写におけるinvisible lyric “I”
金澤淳子(東京理科大学)
<発表要旨>
抒情詩をひとつの定義で捉えることは難しい。それでも「主観的な」心情を歌うことを前提とするならば、lyric “I”は不可欠な存在といえる。エリザベス・ビショップ(1911-79)はlyric “I”にこだわり続けた詩人であり、第1詩集North & South (1946)出版後、ほぼ10年毎に詩集を発表しながらlyric “I”の可能性を模索した――少女の自我の拠りどころとしての“I” (“In the Waiting Room”)、歴史上の人物が語る“I” (“From Trollope’s Journal”)、小説の主人公が語る“I” (“Crusoe in England”)など、数々の試みが並ぶ。
だが、ビショップの詩群には、表層に姿を表わさないlyric “I”、詩行の途中で姿を消してしまう、いわばinvisible lyric “I”の存在もまたある。M. H. Abramsはロマン派詩人たちの抒情詩の構造を論じるうえで、自然描写がやがて語り手の内省へと向かう展開を指摘する。“I’m really a minor female Wordsworth”と自認するビショップにも自然描写が顕著な作品が多い。旅先で出会った風景、ブラジルに拠点を移してからは南国の風景、母方の故郷カナダのノヴァ・スコシアの風景の描写を連ねる。孤独のなかで一族との繋がりから自我 “I” の拠りどころを体感する詩もある。しかしビショップにあっては、エイブラムズが論拠を示すロマン派の自然描写のパターンは必ずしも有効とはいえず、時として語り手 “I”は立ち消える。もしくは描写の背後へと退いてしまう。
今回の発表では特に地図 (“The Map”)、絵画 (“Large Bad Picture”、“Poem”)、タペストリー (“Brazil, January I, 1502”)などの風景描写を取り上げ、lyric “I”とinvisible lyric “I”の間の揺れ、抒情詩と叙事詩の間の揺れを通して「抒情詩」におけるinvisible lyric “I”の役割について考察する。
1970年代の LyricとJohn Ashbery
飯野友幸(上智大学)
<発表要旨>
詩人ジョン・アシュベリーは1960年代にWilliam Burroughsばりのカットアップ書法を試すなど、時代を反映する実験性に富んだ作風だったが、1970年代に入ると一転、lyricばかり集めたような詩集The Double Dream of Springを出した。このスタイルは以後継続されていく。一体、何が起こったのか?
60年代の実験的な作風は、のちに台頭した先鋭的な理論派集団のランゲッジ詩人によって先駆的なモデルとして評価されたものの、70年代以降のアシュベリーは彼らに言わせるとアカデミアに馴致され、受容され(Lazer)、あるいは反抗姿勢を徹底しないまま郊外的・個人的になりはてた(McGann)などと批判をあびた。伝統的な抒情詩とは、ゆるぎない存在のLyric “I”が語りつくすものと思われがちだからである。
ただし、70年代以後のアシュベリーの詩を読むと、lyricのパロディであり、同時にオマージュであるような両面価値を読み取ることができて、そんな一見煮え切らない不確定な態度は単純な裁量をこばんでいる。発表では、詩集Houseboat Days (1978)を俎上にのせ、ars poeticaとしての詩2編(“And Ut Pictura Poesis Is Her Name”、“What is Poetry”)、そしてlyricの祖としてのオルフェウス神話を題材にとった“Syringa”を読むことで、この詩人の抒情詩への自意識を見直し、さらに1970年代アメリカの詩的・文化的コンテクストからも考えてみたい。
Jenny XieのEye Levelにおける抒情詩と他者
田中裕希(法政大学)
<発表要旨>
抒情詩は定義が難しいジャンルだが、語り手が一人で思索する状態が前提とされることが多い。本発表では、Jenny Xieのデビュー詩集Eye Level (2018)を分析し、Xieが閉ざされた孤独な抒情的「私」ではなく、外に目を向ける「視線」としての自己をどう描いているかを論じる。Xieはこれまでに2冊の詩集を発表し、どちらも全米図書賞にノミネートされるなど、注目されている若手詩人だ。その作風は、同世代のアジア系アメリカ詩人がアイデンティティを強く前面に押し出す詩とは異なり、むしろ自己の輪郭を薄くし、他者との関わりの中から自己を表現している。
この自己像を、詩集におけるもう一つの主題である「旅」と結びつけて考察する。Eye Levelでは、中国系アメリカ人の語り手が東南アジアを旅するという設定が取られている。外見的にはアジア系であるため現地人との共通点を感じつつも、実際には中国語がうまく話せないことで、アジア文化に深く根ざせない自分が描かれている。このような葛藤や疎外感を抱える語り手は、アイデンティティを強く主張する自己ではなく、それを完全には獲得できない自己として表現される。旅、人種、抒情詩といった複合的な要素がどのように絡み合い、語り手を形成しているかを、近年のアメリカ詩の動向も参考にしながら論じる。
2024年度は、忘年会を開催させていただきます。
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