〈2020年度1月例会のお知らせ〉

〈2020年度1月例会のお知らせ〉

2021年1月30日(土)午後1時30分より
オンライン(Zoom・事前申込制)で開催いたします。
詳細は、こちらをご確認ください。http://www.tokyo-als.org/2021/01/2020january_meeting_online/
会員以外の方の参加も歓迎いたします。

 

研究発表

 
 

初期アメリカの奴隷反乱事件と文学的想像力

ニューヨーク植民地の事例と大衆歴史小説

講師:白川恵子(同志社大学)

司会:稲垣伸一(実践女子大学)

 

 アメリカにおける奴隷叛乱事件とその文学的影響について考察する際、対象として取り上げられる大方は、南北戦争以前期の南部の事例であろう。事実、ガブリエル・プロッサー(1800)にせよ、デンマーク・ヴィージー(1822)にせよ、ナット・ターナー(1831)にせよ、事件概要の詳述説明のみならず、多くの文学作品において直接的、間接的に表象され、上梓されてきた。だがターナーの叛乱から遡ること百年ほど前の植民地時代にも、共同体を揺るがす奴隷叛乱が実行あるいは計画され、しかもその事件がこんにちの大衆文学作品内にも描かれていることを知る者はあまり多くない。
 発表者は、これまで、マンハッタンの奴隷叛乱(1712, 1741)と、その遠因としても関連するサウスカロライナ植民地のストノの叛乱(1739)について、細々と紹介してきたが、いずれの場合も事件概要説明が中心となり、大衆文学作品を取り上げる余裕がなかった。よって、本発表では、時間の許す限り、本件を描く文学作品について考察したい。複数ある大衆小説について、どこまで紹介できるかわからないが、Pete Hamill, Mat Johnson, Robert Mayer, Philip McFarland, Jean Paradise, Ann Rinaldiのうち、ジョンソン、マックファーランド、パラダイスあたりを中心に話したいと考えている。

 
 

分科会

 
 

近代散文

 

The House of the Seven Gablesの地層的読解

アメリカン・ロマンスと地下資源

田浦紘一朗(東京女子体育大学・非)

 

<発表要旨>

 農本主義者として知られるトマス・ジェファソンは、一七八一年の『ヴァジニア覚え書』で、鉱物や鉱泉、天然ガスなど、アメリカの「地層に潜む資源」(Subterraneous riches)を事細かに記載している。合衆国の発展にとって、広大な空間の獲得は、農地や居住地の確保だけではなく、その土地に潜む天然資源を所有することを意味していた。大陸の地層へと向かうアメリカ的欲望は、アメリカ文学の中にどのように描かれてきただろうか。
 本発表では、ナサニエル・ホーソーンのThe House of the Seven Gables (1851)を、地層と資源という観点から論じる。この作品で、ホーソーンは一七世紀中葉から一九世紀中葉に至る長大なアメリカの歴史を扱った。先行研究においては、ロマンスの素材として再構築されたアメリカ史の中に、先住民への暴力の歴史が除去されていることが指摘されている。筆者はそこに、地層へと向かうもう一つの暴力を論じたい。先住民に対してなされた暴力は、彼らへの身体的外傷、その生活空間の奪取にとどまらず、土地そのものへのダメージと深く結びついていたからだ。マシュー・モールの泉(natural spring)の発見、ピンチョン屋敷の建設によって引き起こされた水質の変化には、植民によってもたらされた、アメリカの帯水層へのダメージを見出すことができよう。また、ピンチョン家に代々伝わる地図には、アメリカの銀脈への欲望が隠されている。ピンチョン家の二世紀の歴史の下部に流れ続ける資源の時間を読み起こすことで、アメリカ文学の風景に無意識のように存在する地層への欲望を明らかにしたい。

 

現代散文

 

トマス・ピンチョンのVinelandにおける場所の連帯と声

榎本悠希(慶應義塾大学・院)

 

<発表要旨>

 Thomas Pynchonは、代表作Gravity’s Rainbow (1973)で「ゾーン」という無政府状態の空間に可能性を見出し、後のAgainst the Day (2006)では「シャンバラ」というまだ見ぬ異郷を、Bleeding Edge (2013)では「ディープ・アーチャー」というインターネット空間を、その国家に抵抗する可能を持つ「空間」として描いた。そして本発表が扱う、第四作にあたるVineland (1990)では、「ヴァインランド」という、死者と生者が共生する文学空間を創造している。
 Vinelandはピンチョンのキャリアにおいて、高評価の作品とは決して言えない。1973年にGravity’s Rainbowを出版したピンチョンは、全米図書賞を受賞し、名実ともにポストモダン文学の代表的作家となる。しかしそこから17年間、彼は沈黙する。1980年代後半になり、彼の新作が遂に出版されることが公表され、当時の批評は期待と不安に包まれたが、満を持して出版されたVinelandへの反応は、彼の代表的な研究者の一人、Edward Mendelsonをはじめとして、好意的なものではなかった。
 けれども、本作出版直後のインド系イギリス人作家Salman Rushdieによる書評はいささか趣を異にしている。ラシュディは、本作の「北カリフォルニアの神話的な土地ヴァインランドとは、コロンブス発見以前のリーフ・エリクソンが発見した北欧神話のヴィンランド(Vinland)」を彷彿とさせると言う。その上で、ラシュディは本作の魅力を、「共同体や個人や家族こそが、エントロピーに代わるもう一つの抵抗の釣り合いとして示唆されている」点だと述べる。
 本発表の主眼は、ラシュディのこの読解を補助線としながら、Vinelandにおける共同体の「場所に根ざす連帯」を考察する点にある。本作が描く土地の共同体とは、単に政治化しやすい連帯可能性の共同体なのではなく、安易な歴史化を拒む過去を内包する空間——つまりそこは、かつていた先住民のユロク族の幽霊や、合衆国の圧政によって抑圧された者の「声」たちが共生する場所である。この抑圧されし者たちの土地という観点を踏まえながら、作品の持つ共時的な場所の連帯(不)可能性を、本発表は検討する。

 

 

東欧詩という傍流

チェスワフ・ミウォシュ

諏訪友亮(実践女子大学)

 

<発表要旨>

 チェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz, 1911-2004)は、ソビエト支配下のポーランドから亡命、教職に就いていたカリフォルニア大学バークリー校でテニュアを与えられ、後に合衆国の市民権を得た。その意味で、ミウォシュはアメリカ詩人と考えられるわけだが、彼の詩がアメリカ詩として扱われることはほとんどない。
 これは、ミウォシュがポーランド語で作品を書き続けたことが大きく影響しているだろう。しかし、興味深いことに、(大部分はロバート・ハス(Robert Hass)との共訳ではあるものの)ミウォシュは自ら作品を英訳しており、彼の自己翻訳は、これ自体を創作の過程と見なせるものである。ポーランド語と英語の両方で書いたバイリンガル作家には当たらないかもしれないが、ミウォシュの英詩は言語の境界からアメリカ詩の定義を揺り動かしている。
 本発表では、馴染みのないミウォシュの経歴なども交えつつ、ポーランド語と英語で書かれた彼の詩を比較し、そこから見えてくるものを検討したい。

 

演劇・表象

 

50年の忍耐を読み解く

認知症・記憶の放棄・生涯にわたる暴力の被害者にとってのアーカイブの可能性

大理奈穂子(神戸学院大学)

 

<発表要旨>

 文学と歴史学が、物語を介して互いに接近している時代である。歴史は研究の文書中心主義の見直しを経て複数化し、より多様な記憶を記録することに重心を移している。文学は語りの形式をますます多様化させて、経験やできごとを解釈し伝達する手段としても発展している。とりわけ、歴史学から台頭してきたアーカイブという概念と、トラウマ的な経験から生まれる文学の存在を考えるとき、これは見逃しがたい動きである。
 本研究は、近年顕著なそうした多領域往還的な人文学の研究動向に触発されている。それは歴史と発話、記憶、そして表現が融合する境界領域に身を置いて、言語化されていない記憶を忘却の淵から救い出し、意味あるものとして書き留める試みである。アメリカの文学を扱わず、さらに断っておけば文学作品の批評ですらないのだが、上に述べる意味で本研究は、声を持たない経験が歴史に何の痕跡も残さないことを惜しみ、名もない個人の記憶の断片から表象を紡ぐことで、文学に素材を供給する創造の土壌のようなものを豊かにする営みだと言うことができるだろう。
 具体的には、オーラル・ヒストリーという手法で間接的な聞き取り調査を行い、誘拐と軟禁、ドメスティック・バイオレンスのサバイバーでもある、ある認知症患者の記憶の掘り起こしを試みた。理論的な支えは、トラウマの概念を人文学研究に援用し、記憶と記録、語ることと耳を傾けること、文学と歴史の関係を再考させるキャシー・カルースの議論である。暴力的なできごとの被害者は、その経験による心理的な傷を凌ぐためしばしば病的な記憶喪失に頼る。結論として本研究は、そのような記憶喪失に置き換わるものとして、アーカイブの可能性を構想した。