〈2022年9月例会のお知らせ〉

〈9月例会のお知らせ〉

9月17日(土)午後1時30分より

慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎522教室

*状況によりオンラインに変更する可能性がございます。
その際は支部HPでお知らせいたしますので、
事前にご確認くださいますようお願い申し上げます。

 
    
 

研究発表

 
 

 冷戦アメリカを起動する 

文化と研究の連携体制

 

 講師:三添篤郎(流通経済大学)

 司会:渡邉真理子(専修大学)

 
 
 2021年4月28日、ジョー・バイデン大統領は、アメリカ議会で施政方針演説を行った。そこで彼は、中国の習近平国家主席を「専制主義者」と名指しで非難し、中国と繰り広げる「21世紀の競争に勝利を収める」と大々的に宣言をした。その言葉どおり、バイデン政権は、その後、ウクライナや台湾といった要衝へ積極的に関与をしていき、中国の台頭を牽制していった。私たちが今、目撃しているのは、1991年に幕を閉じたはずの冷戦が、「新冷戦」の名のもとに、再び繰り返されようとしている光景である。果たして、世界が未だに抜け出すことのできない冷戦というパラダイムは、前世紀末半ばに、いかなる人や機関のもとで生み出されたのだろうか。この問いに向き合っていくことは、2020年代のアメリカ研究者にとって、決して避けて通ることのできない課題となっている。
 本発表は、この現代的な問いに対して、アメリカ文学・文化研究の立場から、応答を試みるものである。とりわけ今回は、第二次世界大戦直後の学術研究者たちにフォーカスをあて、彼らが実験や調査に取り組むなかで、東西対立という枠組みまでをも発明していたことを、明らかにしていきたい。具体的には、音響・聴覚研究、テレパシー研究、ブラジル研究について検証を進めていく。その際、アカデミズムで生み出された知が、新聞・雑誌・映画・文学などを通じて、一般市民にまで波及し、国民の戦後世界認識をも変化させていく様子を、あわせて確認していきたい。最終的に、学術研究領域と文学・文化領域の連携体制のなかから、冷戦が起動していくダイナミズムを捉えていくことが、本発表の目的である。
 
 
 
 
 
 
 
 

分科会

 
 

近代散文

 

“homely narrative”とは何か

“The Black Cat”における家族表象

髙瀬祐子(横浜国立大学)

 

<発表要旨>

 Edgar Allan Poeの代表作の一つ、“The Black Cat” (1843)の冒頭部分で、語り手はこれからペンを執ろうとしている物語について“the most wild, yet most homely narrative”であるという。“homely narrative”とは何か? 数多くの翻訳がある「黒猫」だが、“homely”の訳は、「ごくごく日常的」、「とるにも足りぬ」、「家庭的な」と幅広い。OEDには、第一義として「家庭の、家族の」とあり、“homely narrative”の意味は「家庭/家族の物語」であると理解できる。愛猫の目をくり抜いたり、その猫を庭の木に吊るしたりという凄惨な行為を物語の“wild”な部分だとすると、“homely”な要素はどこにあるのか? 
 本作の登場人物は語り手とその妻、そしてペットの黒猫のみで、残虐な行為も含めすべて家と庭で起きている。さらに語り手は、死が明日に迫った我が身の差し迫った目的は「世間に対し、ひとつの家庭をめぐって生じた一連の出来事(“a series of mere household events”)を差し出すことである」とし、これから記すことが「家庭の出来事」であることを強調する。猫や妻に対する暴力も、家庭における日常の延長線上にあるとすれば、確かに本作は極めて家庭的な物語であるといえる。  
 一方で、読者が本作から家庭的な雰囲気を読み取ることは少ない。おそらくその理由は、語り手の独白的な要素があまりに強く、作品全体に唯一の家族である妻の声がまったく響かないからではなかろうか。妻は名前すら不明なままである。本発表では、“The Black Cat”における妻や家という家庭についての描写を分析し、“homely narrative”の要素を探りつつ、アメリカにおける家族の姿に迫りたい。

 
 
 

現代散文

 

見るから触るへ

“Good Country People” における義足

寺沢恕(一橋大学・院)

 

<発表要旨>

 Flannery O’Connorの“Good Country People” (1955) において、Joy-Hulgaの義足は母親やその雇い人から見られる対象である一方、視覚の言説から逃れる触覚的な結節点としても機能している。本研究発表では、彼女の義足が他のキャラクターによって触れられることに着目し、障害と健常が隣接する可能性を読み取る。先行研究においてLouis Westlingは、義足をJoy-Hulgaの南部女性としての脆弱な自立の象徴として読む。一方、Maren Tova Linettは、その器具を彼女のアイデンティティと結び付けることで、障害の個人的な側面を強調する。これらの指摘は重要であるものの、既存の差異(南部女性や障害者)を保存することで、視覚性の言説に代表されるような主体/客体の二元論を乗り越えることができず、本作品が提示する義足の相互的な可能性を捉えられない。よって本発表では、Joy-Hulgaの義足を「触れる」感覚から再考することで、そこから障害と健常が隣接する可能性を読み取る。
 その呼び水としてまず、彼女の義足がいかに周りの視線にさらされているのかを明らかにしたい。Michel Foucaultが提示する「臨床的な視線」のアイデアに依拠しながら、彼女のもつ障害が人々によって見られるだけでなく、その起源を語らされ、記録され、障害者像が全体化されていく過程を解釈していく。その次に、Joy-HulgaとPointerの出会いと衝撃的な別れの場面を論じる。二人が干草小屋の二階に上り、彼女の義足が二人によって外され、取り付けられ、触れられるその一瞬に、主体/客体の図式を溶解していく隣接性を見て取る。最後に、その器具がPointerによって略奪されることを、侮蔑的な態度として批判しながらも、同時に新たな読みの可能性に開いていくことでもあると論じる。言い換えれば、Joy-Hulgaの義足を奪う行為を、単純な障害のスティグマ化には還元されない、視覚の言説に代表されるような身体的な記録を無効にするものとして捉える。本作品における接触と隣接性を読み取る本発表は、O’Connorの作品を障害の点から再考する上で重要な示唆を与えるだろう。

 
 
 
 

 

南部モダニズムの「新しい血」

「逃亡者」たちの詩を読む

倉田麻里(多摩美術大学・非)

 

<発表要旨>

 モダニズムと呼びならわされた思潮の裾野はどれほどの広がりをもつのだろうか。担い手と以降の批評家によるおびただしいことばの集積によっていまや巨大な山のようになったこの総体は、どのように仰ぎみるかによって、異なる相貌をみせるだろう。かりに辞書的に、大戦を経、かつての倫理や価値体系が崩壊し、産業化、都市化する社会における生を、詩人や作家が新たな方法で表現しようとした運動とでもすれば、アメリカ南部に開花した詩人のグループ“Fugitives”もその一端の景色として眺めうるかもしれない。
 H. L. Menckenによって“Sahara of the Bozart”と名指され文化的不毛を嘆かれた南部から、1922年、この記念碑的な年に、雑誌The Fugitiveは出版された。テネシー州ナッシュヴィルにおいてヴァンダービルト大学の教師と学生を中心とした詩人を志す若者たちが、“high-caste Brahmins of the Old South”から逃げる「逃亡者」を標榜し、じぶんたちの詩作における試みを世に問うたのである。
 のちに新批評の旗手となるJohn Crowe Ransom, Allen TateそしてRobert Penn Warrenが主要なメンバーに含まれるこの雑誌はつまり前衛的であることを企図し、当時はそのように受け止められたようだ。しかしじつのところ、形式を重んじる彼らの詩がいまの我々の目にモダニズムの詩として触れることはほとんどない。彼らが誇る彼らの詩の新しさと実験性とはいったいどこにどのように萌芽していたのだろうか。本発表では1922年の雑誌創刊から25年の廃刊および前後数年の「逃亡者たち」を活写したLouise CowanのThe Fugitive Group (1959)を手がかりに、雑誌掲載の詩や詩論を読んで、南部的であることは念頭になく世界的か普遍的であることを旨とした彼らにとっては不本意だろうが、詩における「南部モダニズム」を素描することを目指したい。
 
 
 
 
 
 

演劇・表象

 

レッド・パージを書き換える

1960年代映画のパロディ的手法について

久我康介(慶應義塾大学・院)

 

<発表要旨>

 1940年代後半から1960年代までの冷戦初期において、アメリカでは政治・外交の面のみならず、文化的にもその大きなイデオロギー対立の影響下にあった。その中心にあったのが映画業界であり、1950年代初頭には「レッド・パージ」として知られる運動の中で多くの映画人が言論を封殺される一方、その影で多くの反共プロパガンダを目的とした映画作品が作られた。
 1960年代に入ると、007シリーズに代表されるような「スパイ映画」が流行し、東西冷戦を題材とした映画が多く作られるようになるが、このような映画は舞台が国際的に置き換えられただけで、あくまで1950年代までの反共的なモチベーション・プロットの延長にあるものと考えられてきた。しかし、二つの時期の映画を見比べてみると、類似した筋書きや場面から受け取ることのできる印象が大きく異なることに気がつく。
 この発表では、現代ではあまり顧みられることのない1950年代のアメリカにおける反共プロパガンダ映画を再検討し、1960年代における映画の冷戦表象との類似点、そしてそれが発信しているメッセージの差異を分析することで、1960年代の映画がいかに反共映画の形式を利用し、パロディすることで反共的文脈を書き換えていたかを探ってみたい。