〈2018年度12月例会のお知らせ〉

〈12月例会のお知らせ〉

2018年12月8日(土)午後2時より
慶應義塾大学 三田キャンパス
西校舎 513 教室

 

シンポジウム

 

環境をアダプトする:エコクリティシズムと視覚芸術

 

司会・講師:波戸岡景太(明治大学)

講師:野田研一(立教大学名誉教授)

講師:齊藤弘平(青山学院大学)

講師:日高優(立教大学)

 

    今年は、“ecocriticism”なる概念がMLAで正式に紹介されてから、ちょうど20年という節目の年にあたる。本シンポジウムでは、成熟しつつあるこの批評理論を今一度見直しつつ、アメリカの視覚芸術を対象として、その応用可能性を検証していく。
 視覚芸術における「自然」のあり方は、これまで“representation”をめぐる思想の中核をなすものとしてさまざまに議論されてきた。初期エコクリティシズムにおいては、表象行為の主体を、人間から環境へとずらすことが課題とされてきたが、グローバリズムやマテリアリズムといった視点を得て、現在では、そうした「人間と環境」というシンプルな関係を前提とすることはむずかしくなってきている。また、ひとくちに「表象」といったところで、私たちが手にしたり目にしたりする作品のほとんどは、「表象の表象の表象の……」といった具合に、無限ともいえる表象の連鎖の果てに成立するものであり、その元となった対象へと遡行することは容易ではない。
 絵画にせよ、写真にせよ、あるいはドキュメンタリーをうたった映像作品にせよ、そこに描き出される「自然」や「環境」は、表象行為の前提のような姿をしているけれど、その実情は、表象行為があることによって事後的に立ち上げられたものなのではないか。こうした問いかけは、近年、アメリカ国内外でその成果がさかんに報告されている“adaptation”をめぐる研究においても本質的なものとされる。本シンポジウムでは、エコクリティシズムがその始まりから議論の対象としてきた自然表象の不可能性を、異なるメディアのあいだでの表象の変換プロセス、すなわち“adaptation”という概念を導入することにより、新たな視点から論じていきたい。

 

 

LandscapeとLand
アダプテーションとしての風景

野田研一(立教大学名誉教授)

<発表要旨>

    Land(土地)がLandscape(風景)へと昇華される。Emersonは語る。ひとはlandを所有することはできるが、landscapeは所有できないと。landscapeを所有することのできるのは詩人だけであると。「統合」(integration)をめぐる美しく詩的な議論である。かくて、landとlandscapeは対立関係に置かれ、landはやがて19世紀末のBack To Nature Movementを経て、natureとも対立関係に置かれる。
 美術史家Malcolm Andrewsはその風景画史を書くに当たって、このland/landscapeの対位関係を基本的な枠組みとして、風景画の成立をland into landscape、現代風景画における逆転現象をlandscape into landという対照的な図式で説明する。いわばlandの復権である。本発表では、landのアダプテーションもしくは表象としてのlandscapeという観点から具体的な風景画を例として考えてみたい。Albert Bierstadt, “Gosnold at Cuttyhunk”(1858)と“The Rocky Mountains, Lander’s Peak”(1863)、および Frederick E. Church, “The Icebergs”(1861)の3作品を中心に検討を加える。

 

Rest in the West
西部劇、男性性、精神医療

齊藤弘平(青山学院大学)

<発表要旨>

    西部劇という神話の創生と、神経衰弱という病の治療。本発表が焦点を当てたいのは、その両者の切り離せない関係である。世紀転換期に東部の都市に住む中流階級層の間で大流行した神経衰弱(nervousness)への処方として、神経科医 Silas Weir Mitchell(1829-1914)は、周知のように、非常にジェンダー化された療法を提唱した――女性には徹底的に「休め」と言い、男性には心機一転「西へ行け」と言ったのである。それぞれ、 “rest cure”と “West cure”という名称で知られている。南北戦争後、文明化と産業化の発展が止むことのない都市部と、そこでの生活が否応なくもたらす過剰な刺激と重圧から、神経系のバランスを、すなわち心身の想定される「自然」を回復するために、静謐な寝室または西部のフロンティアでの療養が要請された。後者が提供する平原と峡谷こそが、西部劇における「環境」の原型となっている。
 Theodore Roosevelt(1858-1919)、そして Owen Wister(1860-1938)は、Harvard大学の学友として、東部の「文明化されすぎた」知識人として、共にWest Cureという「治療」を受けることになった男性患者である。そして、その体験をそれぞれの著作に反映させることで、後に続く西部劇の原型とイデオロギーの形成に貢献していくことになる。彼らは、心を病む近代人を回復させるトポスとしての西部とその「自然」を、いかにして自己形成および世紀転換期の国民意識形成のための「環境」として言説化――本シンポジウムの趣旨に照らせば「アダプテーション」――していったのだろうか。「治療」という観点を導入し、近代男性主体の「自助努力」によるエージェンシーの正当化、その言説編成の機微を、Mitchellの精神医療エッセイCamp Cure(1877)からWisterの古典的西部劇 The Virginian(1902)までを通して分析したい。

 

〈映像=環境〉時代における風景の写真
Robert Adamsと希望という問題

日高優(立教大学)

<発表要旨>

    歴史を通じて、アメリカ西部の風景は、多くの写真家たちによって撮影され続けてきた。Robert Adams (1937-)は、1970年代の新しい風景写真の潮流の中から頭角を現し、こんにちまで活躍する写真家である。郊外化の進んだアメリカで、もはや無垢なる手つかずの自然は見出し難い、そんな時代に、アメリカ西部の風景を撮影してきた。
 今回の発表では、Robert Adamsの仕事を通じて、映像が環境の一部になって久しい現代に、風景の写真を撮ること、それを観ることの困難や痛みと、希望とを探る。困難がどこから来るかは、明白である。では、希望は果たしてどこから来るのか。
映像が溢れて環境化した現代社会で、写真は、破壊される自然と破壊する人間という関係を浮き彫りにする文脈を下支えする、大きな機能を担ってきた。実際、Robert Adamsも無残に破壊された自然、風景の傷を繰り返し撮って、数々の写真集を生み出したのである。だが、彼の作品の殆どどれもが一貫して、自然の破壊という暴力を示しながらも、その底を流れる静謐な時間を顕われさせ、二重化する時間を孕んでいる。彼は、写真の本質につき従って、そのような仕事を為し続けてきた。
 そもそも写真とは、カメラという機械による知覚と自らの身体による知覚とを結合させて自分を取り巻く世界を観、世界から対象を引き出して視覚像にしてとらえる、写真家の知覚の努力の営為である。いわば写真は、その原理に風景と環境の発想を孕む、特異なメディアだ。Robert Adamsが賦活する写真の本質を明らかにしながら、彼の仕事の意義を考察してみたい。

 

環境ドキュメンタリー史のなかで〈グリズリー・マン〉を考える

波戸岡景太(明治大学)

<発表要旨>

    未開の地への好奇心、ファミリー向けの野生動物紹介、環境保護を訴えるドキュメンタリー、そしてアニマル・ポルノ――。Hunting Big Game in Africa(1909)のようなフェイク・ドキュメンタリー作品から、Walt Disney社が制作したTrue-Life Adventuresシリーズ(1950年代)や、Discovery Channelを筆頭とするケーブルテレビの流行(1980年代以降)を経て、今世紀に入りあらためて劇場用映画へと回帰するに至った環境ドキュメンタリーの歴史は、人間がいかにして自然を表象してきたか(あるいは、表象し得ずにきたか)を考える上で重要な役割を担っている。本発表では、このような環境ドキュメンタリー史において異彩を放つ映画Grizzly Man(2005)を中心に、視覚芸術におけるノンフィクションとフィクションの境界のあり方を、アダプテーション研究の立場から論じる。先行研究としては、環境ドキュメンタリーについてはGregg MitmanのReel Nature(1999)を、アダプテーションについてはThomas LeitchのFilm Adaptation and Its Discontents(2007)をそれぞれ参照する。特に、Leitchがその著書の最後に示した見解――「これは真実の物語」(based on a true story)と宣伝される映像作品もまた、本質的にはadaptationである――は、自然や野生の表象をめぐりその「真実」を描き出そうとしてきた環境ドキュメンタリー史全体にもあてはまることを、Grizzly Manという、ケーブルテレビ時代からYouTube時代への移行期に産み落とされた、アマチュアとプロフェッショナルの境界すらも撹乱する稀有な作品を中心に検証してみたい。

 
 

忘年会

 

会場:アリス・アクアガーデン (田町駅直結 田町センタービルビアタ3F)

時間:午後5時30分〜

会費:一般6000円、学生2000円

※ 会場の詳細については、こちらのHPをご覧ください。