〈6月例会のお知らせ〉
2018年6月30日(土)午後1時30分より
慶應義塾大学 三田キャンパス
西校舎 513 教室
ハーレム・ルネサンス再訪
司会・講師:竹谷悦子(筑波大学)
講師:三石庸子(東洋大学)
講師:佐久間由梨(専修大学)
講師:千代田夏夫(鹿児島大学)
ちょうど一世紀前の1919年ニューヨークのハーレムの街並みと街をゆく人々を写した一枚の写真。キャプションには「135番街分館から歩いて30秒以内(の場所)」とある。135番街分館とは、言うまでもなく「ションバーグ黒人文化研究センター」(ニューヨーク市立図書館分館)の前身のことである。プエルトリコ生まれで、ハーレム・ルネサンスが誇る学者にして蔵書家アルトゥロ・アルフォンソ・ショーンバーグに因んだこのセンターには、いまや世界中からハーレム・ルネサンス文学研究者が訪れる。「135番街分館から歩いて30秒以内(の場所)」で、ハーレム・ルネサンスの担い手たちとハーレム・ルネサンスの原資料に立ち帰ろうとする研究者たちとが、そして過去と現在とが、行き交うのである。
From The New York Public Library
本シンポジウムは「ハーレム・ルネサンス再訪」である。今どのようなルートから再訪するのか?再訪のルートは、私たちが敢えて選ばなかった道筋との対比によって浮き彫りになるだろう。私たちはハーレム・ルネサンスを所与の事象とは考えない。それ自体を構築された言説として再考するだろう。同様にこれまでの研究をあまりに長く支配してきた視覚の優位性に疑問を投げかけ、「聴く」ことをとおしてハーレム・ルネサンスの縮図に迫るだろう。ハーレムを起点として捉えることをやめ、カリブ移民の移動の歴史のなかの中継点として捉え直すだろう。そして、ハーレム・ルネサンスを、アフリカ系アメリカ文学史から解き放って環大西洋の文学史に位置付け、アイルランド文芸復興やF・スコット・フィッツジェラルドに接続することを試みることになるだろう。
ハーレム・ルネサンスの制度化
空間的含意と「時代区分」
竹谷悦子(筑波大学)
<発表要旨>
ハーレム・ルネサンス―1920年代ニューヨークのマンハッタンの地区の名称を冠したターム。私たちはあの時代をいつ、そしてなぜ「ハーレム・ルネサンス」と呼ぶようになったのか。
本発表では、この文学タームが、第二次大戦後のスラム化したハーレムを参照点として、華やかなりし過去のハーレムを遡及的に定義するものであったこと、また二〇世紀中葉に顕在化する「過去と現在の明確な区分を想像する歴史意識」の産物としての「時間区分」カテゴリーとして制度化されたこと(アンドリュー・ファーンリー、2014年)を再訪の出発点とする。ハーレム・ルネサンスという造語を、研究・教育のツールとして無批判的に再生産するのではなく、その制度化を批判的に対象化するところから始めるならば、一体どのような批評の地平が開かれるのか。
本発表は、二つのルートからハーレム・ルネサンスを再訪することになるだろう。ひとつはスラム化以前のハーレムの空間をマッピングしなおすこと、そしてもうひとつは「時代区分」カテゴリーとして制度化された「ハーレム・ルネサンス」を検証しなおすこと、である。
ジャズに聴くハーレム・ルネサンス
デューク・エリントンの“Black and Tan Fantasy”
佐久間由梨(専修大学)
<発表要旨>
デューク・エリントンはジャズ史に名高い作曲家、バンドリーダー、ピアニストとして、人種、芸術媒体、高級芸術/大衆文化の垣根を超えた文化創造により知られている。黒人の歴史書や各国文学作品を愛読し、画家としての才能もあったエリントンは、各楽器が集う「音色のパレット(tonal palette)」としてのバンドを通して、黒人の、そしてアメリカの歴史や物語を語りつづけた。エリントンは、当時の黒人知識人階級からは低俗であると批判されていたジャズに宿る可能性を追求し、ハーレム・ルネサンス期を彩る名曲の数々を残している。
本発表ではハーレムの白人専用高級ナイトクラブで人気を博したエリントンの“Black and Tan Fantasy”(1927)を分析したい。人種問題、黒人内の階級格差、黒人芸術の理想をめぐる異なる思惑、南部黒人音楽の伝統、奴隷制や未開主義などのステレオタイプの商品化といった議論を、死と再生(復興)という主題のうちに映しだす本楽曲が、ハーレム・ルネサンスの縮図となっていることを示したい。
ハーレム・ルネサンスとカリブの視点
三石庸子(東洋大学)
<発表要旨>
20世紀初頭、ニューヨークはヨーロッパなどから押し寄せた移民のために人口が50年間で倍増していたが、こうした国際都市ニューヨークの一角を占めるハーレムにおいて、1930年までには黒人の4分の1近くがカリブ出身者であった。ハーレム・ルネサンスにおけるこうしたカリブ移民の功績に注目する。
Claude McKay、Marcus Garvey、Arthur(Arturo)Alfonso Schomburgなどはよく知られているが、ほかに「ハーレム・ラディカリズムの父」と呼ばれたOtto Eduard Gerardus Majella Huiswould、黒人問題の解決をめざすCrusaderを創刊したCyril Valentine Briggs、その経済的パトロンとなった実業家Anthony Crawford、その他、カリブ出身者は黒人の地位向上のための政治的な運動の中心を担っていた。そうしたカリブ移民の運動の中にMcKayを位置づけて、Home to Harlem (1928) とその続編ともいえるBanjo (1929) に描かれる主人公Jake やBanjoという、作者に理想化された黒人像の分析を試みる。Banjoは30年代のネグリチュード運動に大きな影響を与えた作品であり、それにはパリ在住のRichard Wright、Chester Himesが参加している。当時パリではジャズが大流行しており、黒人文化とともにカリブ発信の国際的な黒人運動はハーレムからパリへと移動し、引き継がれていく。
フィッツジェラルドのフォーク・モダニズムの可能性
ハーレム・ルネサンスとアイルランド文芸復興の関わりから
千代田夏夫(鹿児島大学)
<発表要旨>
白人男性モダニズムの一角をなしたF・スコット・フィッツジェラルドは自身のアイデンティティとしてケルト/アイルランド性を深く意識していた。“I am half black Irish”という1933年ジョン・オハラ宛書簡のフレーズは有名だが、19世紀における黒人との同一視が一度は定着した歴史を持つアメリカのアイルランド性の「黒さ」に、1920年代はいまいちど、アフリカ系アメリカ人の歴史・文化とアイルランドのそれとの共通性が、アイルランド性に更なる「黒さ」を重ねた時代でもあった。モダニズム・アメリカにおいて、植民地的支配からの文学面での自立の直近の成功例としてみなされハーレム・ルネサンスに大きな影響を与えたとされるアイルランド文芸復興とフィッツジェラルドの連関を確認した上で、国外移住者たちのハイ・モダニズムに対峙する、黒人大衆のフォーク文化に発するハーレム・ルネサンスという構図を越えて、作家独自の「フォーク・モダニズム」とも言うべきものを、人種主義言説やケルト文化言説を「流用」しながらフィッツジェラルドが形成していったということは可能であるかどうか、検証したい。
近代散文
「世間」の中で生きること
The Portrait of a Lady における資本主義的価値体系のレッスン
斎藤寿葉(早稲田大学・院)
<発表要旨>
The Portrait of a Lady(1881)において、ヘンリー・ジェイムズは、資本主義的価値体系の個人への影響を「世間」という社会的・空間的広がりのイメージを用いて描き出した。本発表の目的は、「世間」を生きる個人にいかなる生き方が可能なのか、ジェイムズにおける「世間」に綻びはあり得るのかという問題を検討することにある。
発表では第一に、「世間」が個人のあり方に及ぼす影響を「商品」の価値相対性という観点から考察する。「世間」において個人は商品であると同時に消費者であり、互いを欲望の対象とする。第二に、オズモンドやマダム・マールの示す財産とアイデンティティの関係を踏まえ、イザベルの受け取る財産が彼女にもたらす意味作用を考える。第三に、「世間」において人間関係がとり得る形態を検討する。他者を自己の目的に役立て利益を引き出そうとする立場がある一方、ラルフやイザベルは他者の可能性に投資を試みる。後者は資本主義的価値体系を脱することを目的とするが、にもかかわらず、資本を活用するという行為自体は資本主義の内部にとどまる。最後に、ラルフの死と彼の失敗に終わった投資を「贈与」の観点から再検討し、「世間」を生き続けるイザベルにおいて「贈与」を受けたという経験がどのように作用するのかを考えたい。見返りを求めない贈与は資本主義的価値体系を逸脱するとともに、生き方を選択しようとするイザベルに影響を与える。ジェイムズは、資本主義的な「世間」の広がりを十分に認識したうえで、その内部に別の価値体系が両立する可能性を探ったのではないだろうか。
現代散文
FaulknerのSanctuary 改稿における冒頭部の再配置
岡田大樹(専修大学・非)
<発表要旨>
William Faulknerの Sanctuary は執筆後に一度は出版社から拒否された後、As I lay Dyingの執筆と出版を挟んで一年半越しに改稿されたテクストが出版されたことで知られる。この原稿版と改稿版、Sanctuary の二種類のテクストは、二十年代から三十年代にかけてのFaulknerの作風の変化を跡付けるものとして比較研究されてきたが、その対象は主に挿話の加筆や削除に集中していた。しかし本作の改稿に特徴的であるテクストの順序の再配置は、作中の出来事が語られる順序を入れ替えることによってふたつのテクストで挿話同士の対応関係を変化させており、注目に値する改稿の一側面であるといえる。
本発表では特に物語冒頭部の再配置がSanctuaryのテクスト総体に及ぼす影響を改めて分析することによって、改稿版と原稿版の文体について再考を行なう。特に原稿版の文体はこれまで三人称の地の文によって「和らげられた」意識の流れ手法であると説明されてきたが、地の文の語り手の意思と登場人物の意識が複雑に絡むことによって時系列を大きく逸脱した語りの配置順序を構成しており、むしろ一人称による意識の流れ手法以上に実験的な面を認められる。テクストの再配置という観点から Sanctuary 改稿の際に棄却された手法を炙り出し、本作における三人称の実験の捉え直しを図りたい。
詩
G. Snyderと大地の時間
Mountains and Rivers Without End におけるnon-humanのまなざし
戸張雅登(日本工業大学・非)
<発表要旨>
Gary Snyderの詩集Mountains and Rivers Without End(1996)からは、山里勝己によれば、Wai Chee Dimockの“deep time”やGayatri Chakravorty Spivakの“planetarity”という概念を見て取ることができる。国境を越えた大地の広がりという横軸と、国を越えた大地の歴史という縦軸において、自然と人間の二元論は瓦解し、自我と非自我の境界は溶解するという。
本発表では、同詩集に収録された“Night Song of the Los Angeles Basin”や“Raven’s Beak River At the End”等における人間と“non-human”の関係について、Eduardo Viveiros de Castroの“perspectivism”を用いて自他の視点を考察する。山里は同詩集が持つアメリカの文化多様性と大地の連続性に着目したが、ここでは、多自然主義と場所の多義性の観点から、スナイダーの詩に可能性を見い出したい。
文化人類学者のヴィヴェイロス=デ=カストロはアマゾン流域の先住民社会を調査し、「ジャガー人間」に代表されるような、人間と“non-human”の連続性を“perspectivism”によって自著From the Enemy’s Point of View: Humanity and Divinity in an Amazonian Society(1986)に示した。アメリカ先住民の神話から影響を受けているスナイダーの詩作においても、詩集Turtle Island(1974)収録の“As for Poets”等に、人間と“non-human”の連続性を見て取ることができる。
Mountains and Rivers Without End (1996)では東洋の風景画を参考として、風景を詩へと翻訳する試みがなされているが、そこで描かれる大地は神話の時間であると考えられる。ヴィヴェイロス=デ=カストロによれば、神話とは、主体と客体とが区別される以前の時間である。大地は人間のためだけに存在しているのではなく、種ごとに異なる自然として存在するのである。
演劇・表象
ディズニー・ミュージカルの日本受容
劇団四季の理想とスターシステム
武田寿恵(神奈川工科大学・非)
<発表要旨>
日本におけるディズニー・ミュージカルの受容は、1995年11月24日、劇団四季によって赤坂ミュージカル劇場で上演された『美女と野獣』から始まった。その後、同劇団は『ライオンキング』(1998年日本初演)、『リトル・マーメイド』(2013年日本初演)、『アラジン』(2015年日本初演)などといった人気作品を次々と輸入上演しており、今やディズニー・ミュージカルは劇団四季の代名詞になっている。1953年7月、浅利慶太らを中心に結成された劇団四季は、元々、ジャン・アヌイやジャン・ジロドゥといったフランス文学作品を上演する新劇団だった。浅利は観客が俳優を見るために劇場へ足を運ぶ「スターシステム」を否定し、「作品主義」を劇団の理想として掲げてきた。しかし一方で、同劇団は1970年代にシャンソンの女王と呼ばれた大スター・越路吹雪を主演に据え、浅利の演出によって「スターシステム」によるブロードウェイ・ミュージカルの輸入上演を立て続けに行っている。それらの作品はミュージカル劇団としての劇団四季を形成する契機となり、その系譜はディズニー・ミュージカルの輸入上演へと繋がっていくこととなる。
本発表では、劇団四季と越路吹雪による「スターシステム」の公演に注目しつつ、新劇団として出発した同劇団がディズニー・ミュージカルを受容するに至った背景を精査することで、劇団四季のディズニー・ミュージカルが内包する「スターシステム」の実態を検討する。そのとき、ディズニー・ミュージカルの評価が日本とアメリカでは異なることを改めて確認することで、アメリカ産ミュージカルの輸入史における、日本のディズニー・ミュージカルの独自性を明らかにしたい。