49号 1989.4
富山英俊
デリダ派の真理の言説と解釈への意志
清水武雄
ロマンス文学に於ける催眠誘導法的展開:(1)ナサニエル・ホーソーン作「雪少女」
飯野友幸
皮肉の声・同情の声 — Randall Jarrell の劇的独白再考
Hitomi Nakatani
Radical Martyrdom — An Essay on John Hawkes’ The Passion Artist
48号 1988.10
渡部桃子
シルヴィア・プラス,アドリアン・リッチ後のアメリカの女性詩人たち
富島美子
増殖,あるいは幻影の文学 –『ねじの回転』
柴田元幸
都市のナルシス –「群衆の人」論
47号 1987.9
大橋健三郎
シンポジウム:マラマッド再考 短篇と長篇 — Malamud を見る一つの perspective
浜野成生
シンポジウム:マラマッド再考 懐疑に彩られた人生 — マラマッド再考
今村楯夫
シンポジウム:マラマッド再考 マラマッドの文学 — 現実と非現実の間隙
石塚浩司
Long Day’s Journey into Monologue:対話崩壊のドラマ
下河辺美知子
(研究ノート)ラカン的テクスト読み — The Fictional Father の第二章を中心として
46号 1986.9
浜本武雄
シンポジウム:アメリカ黒人文学の最近の状況 60年代以降のアメリカ黒人文学概観
斎藤忠利
シンポジウム:アメリカ黒人文学の最近の状況 ジェームズ・ボールドウィン以後のアメリカ黒人の文学
佐藤宏子
シンポジウム:アメリカ黒人文学の最近の状況 黒人女性作家の諸問題 — 1960年代以降を中心に
鈴木周二
シンポジウム:アメリカ黒人文学の最近の状況 1970年代の黒人演劇
折島正司
転移と誘惑 — 精神分析と James の『檻の中』
小武秀男
「父」の不在 — 1960年代小説の子供像
45号 1985.10
神宮輝夫
シンポジウム:アメリカ児童文学の歴史と現在 成功例に見るアメリカン・ファンタジーの特色
定松正
シンポジウム:アメリカ児童文学の歴史と現在 アメリカ児童文学のリアリズムの流れと現在
谷本誠剛
シンポジウム:アメリカ児童文学の歴史と現在 アメリカ児童文学の特質
三石庸子
Dickinson と自然 — 初期の詩にみる一面
Merin Bower
Melville and Conrad: A Comparison and Contrast
44号 1984.10
野島秀勝
アメリカと “女”
今村楯夫
『楡の木陰の欲望』の詩的言語
萩原万里子
エミリィ・ディキンスンの詩における自己確認の姿勢
青山みゆき
F.スコット・フィツジェラルドと詩
Hiroshi Narasaki
Faulkner’s Presentation of the Corporal in A Fable
中田幸子
ジャック・ロンドンが見た90年前の横浜
43号 1984.4
小武秀男
牧歌の政治学 — John Hawks, Second Skin 研究
並木信明
アディと血と大地の関係 –『響きと怒り』から『死の床に横たわりて』
上杉明
『欲望という名の電車』試論
江田孝臣
Paterson と錬金術
42号 1983.8
小池滋
アメリカ文学と鉄道
村上恭子
Gravity’s Rainbow における認識の諸相
山田健太郎
『響きと怒り』と他の1人称小説
平石貴樹
Wise Blood :方法と憎悪
渡辺信二
イザベルの行方:『ある夫人の肖像』再読(2)
小林富久子
母性の再定義 –『アンクル・トムの小屋』とラディカル・フェミニズム
41号 1982.12
渡辺信二
対応の文体:『ある夫人の肖像』再読(1)
島秀夫
兵士と市民の間 — “Tales of Soldiers” 管見
青山みゆき
Jong の詩と魂の本質 — “The Send-Off” 試論
中田幸子
明治30・40年代のわが国におけるジャック・ロンドン像 — 主として社会主義小説家としての
石田毅
フォークナーの日本への紹介者
40号 1982.3
小林史子
否定された Originality — Letters 試論
今村楯夫
Dubin’s Lives 論
Hiroko Washizu
A Failed Work/An Unfailed Work: An Approach to “Rappaccini’s Daughter”
矢作三蔵
懐疑主義者のとまどい — N.ホーソーンにおける曖昧さ
林幸子
『総和』としての主人公 Huck — The Adventures of Huckleberry Finn について
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