〈2017年度12月例会のお知らせ〉

〈12月例会のお知らせ〉

2017年12月9日(土)午後2時より
慶應義塾大学 三田キャンパス
西校舎528番教室

 

シンポジウム

ポカホンタスの400年―環大西洋文学史を再考する

 

司会・講師:下河辺美知子(成蹊大学)

講師:大串尚代(慶應義塾大学)

講師:余田真也(東洋大学)

講師:原田範行(東京女子大学)

ディスカッサント:巽孝之 (慶應義塾大学)

 

    2017年はポカホンタス没後400年にあたる。ジェームズタウンにやってきたイギリス人植民者たちが出会ったパウハタン族の“プリンセス”は、ポカホンタスというニックネームでよばれていた。イギリスに渡り21歳の若さで没したこの女性は、その生涯をどの時点で切り取るのか、それをどの共同体の物語とするかによってその姿が大きく異なるヒロインである。それ故に、これまで、歴史文書、文学テクスト、映像やパフォーマンス芸術、大衆文化的言説などの領域で限りなく多彩なポカホンタス言説が生み出されてきた。

    本シンポジウムは、文学史の中でこれまで正式な位置を与えられてこなかったかのように見えるポカホンタスについて、その歴史的実像をさぐり、彼女の死が遺した文化的・政治的遺産を検証し、アメリカという国家をアングロアメリカという文脈から見直そうというものである。プリマス植民地より十年以上前に建設された南部の植民地ジェームズタウンを起点としてアメリカを見ることは、プリマスのピューリタンをアメリカの起源とする歴史観を問い直すことになるであろう。また、ネイティヴ・アメリカンと遭遇したイギリス人の記録としてこの事例を検証することで、アメリカ文学史とイギリス文学史という区分けそのものを問い直す必要がでてくるであろう。大西洋両岸の文化の共振関係をみていくことでこれまでの文学史観を再考し、あらたに「環大西洋文学史」を構築する可能性をさぐりたい。

 

囚われたのは誰か
キャサリン・マリア・セジウィック『ホープ・レスリー』におけるポカホンタス表象を中心に

大串尚代(慶應義塾大学)

<発表要旨>

    ポカホンタス表象を研究するロバート・S・ティルトンは、キャプテン・ジョン・スミスを救うポカホンタスというイメージが19世紀アメリカに定着したのは、イギリス人作家ジョン・デイヴィスによる1803年の著作によると論じている。デイヴィスは、ポカホンタスの夫であるジョン・ロルフの存在を消し、囚われたスミスを愛すえに救うインディアン・プリンセスという関係を強調することとなったが、ポカホンタス自身が白人入植者により囚われの身になった経験をもつことである。イギリス人キャプテン・アーガルによるポカホンタスの捕囚は、結果彼女をしてキリスト教へと改宗させ、ジョン・ロルフの結婚へと導く。このポカホンタスの捕囚については、ジョン・マーシャルが『ジョージ・ワシントンの人生』(1804-07)で触れているが、前述のデイヴィスのロマンス化により、広く知られていなかった可能性が考えられる。

    キャサリン・マリア・セジウィックの『ホープ・レスリー』(1827)では、ポカホンタスを彷彿とさせる少女マガウィスカが登場するが、彼女は白人の少年エヴェレルの死刑において、自分の右腕を引き替えに彼を助けるだけではなく、後にマガウィスカ自身が囚われの身になることが描かれる。本発表では、「白人を助けるインディアン女性」ではなく、「囚われるヒロイン」という側面からポカホンタス神話を再考し、それが19世紀のセジウィック作品にどのように引き継がれているか、その可能性を検討する。

 

現代先住民作家ポーラ・ガン・アレンのポカホンタス

余田真也(東洋大学)

<発表要旨>

    ポカホンタスは、おそらくもっとも有名なアメリカ先住民女性である。過去400年の間に、虚実ないまぜの創作を通じて歪んだイメージが紡がれてきた一方で、実像を見極めようとする学術研究によってそうしたイメージの是正が図られてきた。しかし、一次資料が決定的に欠けているため、ポカホンタスの生涯については、どうしても推測に頼らざるを得ない部分が残ってしまう。そうした解釈の余地こそが、ポカホンタスをめぐる研究や創作を盛りあげてきたともいえるが、意外なことに、膨大な数にのぼる伝記や作品のうち、先住民によるものはごくわずかにすぎない。本発表では、先住民の研究者や作家がポカホンタスの生涯の探求に慎重にならざるを得ない状況にも目配せしつつ、現代先住民作家ポーラ・ガン・アレン(Paula Gunn Allen)が著した伝記『ポカホンタス』(2003年)を俎上に載せる。本書では、フェミニズム詩人であり先住民文化研究者であるアレンが、数多の資料と奔放な想像力を駆使して、最初期の文化的混血であるポカホンタスについて斬新かつ大胆な解釈を提示しているのだが、随所で創作のような筆致の議論が進行するため、学術的な評価は芳しくない。しかしここでは、ポカホンタス表象の動向やポカホンタス物語の虚実に照射しながら、彼女の生涯を先住民の世界観から徹底的に読み直そうとしたアレンの労作を先住民文学として再評価してみたい。

 

ポカホンタス・ナラティヴにおける語りの欲望:ジョン・スミスの出立をめぐって

下河辺美知子(成蹊大学)

<発表要旨>

    「新大陸ヴァージニアで植民しようとしていたイギリス人にとって、先住民の中にその行動が気になる一人の女性がいた。」 歴史言説に加工される前の「生の素材」とも言えるこの状況を、誰が、どの局面を切り取り、どのような文脈の中で語るのか。精神分析の洞察によると、語られた物語の中には語る側の欲望が潜在している。イギリス人と先住民の出会いにまつわる幾多のエピソードの中で、ポカホンタスという女性が白人側から言葉を引きだし続けているのは誰のどのような欲望からなのか?

    物語の素材となりうる出来事としては、ジョン・スミスの捕囚(いわゆる「救済物語」)、ポカホンタスの捕囚、ジョン・ラルフとの結婚、洗礼、渡英、出産と死などがある。語る側の顔ぶれは、ポカホンタスをめぐる二人のイギリス人男性(ジョン・スミスとジョン・ロルフ)、ヴァージニア植民地、アメリカ国家等々であるが、これらの語りを検証していくと、そこにポカホンタス本人の語りが欠けていることが気になってくる。一人の女性の物語であれば、「愛の行為から救済した」とされるジョン・スミスが突然ヴァージニアを出立したことを、ポカホンタスならどう語ったのであろうか?多くのポカホンタス・ナラティヴで【ジョン・スミスのヴァージニア立ち去り】と言う出来事が消去されているように見える。そこには歴史の語りそのものの欲望が潜在するのだろうか、また、アメリカの物語の中にイギリス的なるものが抑圧されているのだろうか。

 

ポカホンタスとイギリス近代

原田範行(東京女子大学)

<発表要旨>

    ポカホンタスが夫ジョン・ロルフと共にイギリスへやって来る直前に世を去ったシェイクスピアの晩年の傑作『テンペスト』の一節に、プロスペローが娘ミランダのことを「比類なき美女」と呼んでいる、というくだりがある。これが、ジェイムズタウンの第4代総督ジョン・スミスの記した『ヴァージニアで起きた注目すべき出来事の真相』(1608年、ロンドン刊)におけるポカホンタスへの形容と一致することから、『真相』が『テンペスト』の情報源の一つであると言われることがある。真偽のほどは定かでない。定かではないが、この文豪の視野に、そして広く17世紀から18世紀にかけてのイギリス近代の文学的表象の中に、ヴァージニア、新大陸、そしてポカホンタスの姿を看取できるということに間違いはあるまい。今回の発表では、1607年にロンドン・ヴァージニア会社によってジェイムズタウンが建設された前後のイギリスの対外政策とその文化的表象を、イギリス側から確認すると共に、ベン・ジョンソンの仮面劇をジェイムズ1世と共に観劇した後、ヴァージニアへの帰郷を前に病にたおれたポカホンタスがイギリス文学史に残した「娘」たちを、アフラ・ベーンの『ランター婦人』(1689年初演)、ダニエル・デフォーの『モル・フランダーズ』(1722年)、『ロビンソン・クルーソー』的冒険物語の一つとされる『フィーメイル・アメリカン』(1767年)を中心に考察する。

  

※ また、シンポジウム終了後には、恒例の忘年会を開催いたします。