〈2018年度11月例会のお知らせ〉

〈11月例会のお知らせ〉

2018年11月17日(土)午後1時30分より
慶應義塾大学 三田キャンパス
研究室棟A・B会議室

 

研究発表

 
 

フィリップ・ロスの文学遺産
その変遷と継承者たち

坂野明子(専修大学)

司会:伊達雅彦(尚美学園大学)

 

 2018年5月22日、フィリップ・ロスは85才の生涯を閉じた。1933年生まれで、1959年発表のGoodbye, Columbusで 全米図書賞を受賞した彼は、2012年の断筆宣言まで50年以上、第一線の作家として活躍し、多数の作品を残した。先行世代のユダヤ系作家ソール・ベロー(1915-2005)やバーナード・マラマッド(1914-1986)と較べても、作品数は多く、スタイルや内容が多様性に富んでいる。ただ、過激な性表現や攻撃的な笑いを含む作品が多く、ノーベル賞候補に挙げられるなどの高い評価を得る一方で、手を変え品を変えてはいるが同じテーマ、すなわち自分のことを書いているに過ぎないという否定的な見方をする批評家もいないわけではない。
 本発表では、出版された長編作品だけでも30冊を超えるロス文学について、先行世代との違いに留意しつつ、大まかな全体像やその変遷を時代と関連づけるかたちで明らかにしたい。また、それだけではなく、ロスという大きな存在があったからこそ、次の世代、あるいは次の次の世代のユダヤ系作家が誕生し、魅力ある作品を生み出している状況を紹介し、彼らがどのようにロス文学を継承しているかを明らかにしたい。ロス以降のユダヤ系作家はたくさんいるが、主としてマイケル・シェイボン(1963年生まれ、『カヴァリエ&クレイの驚くべき冒険』2000、『ユダヤ警官同盟』2007)、ネイサン・イングランダー(1970年生まれ、『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』2012)、ジョナサン・サフラン・フォア(1977年生まれ『ものすごくうるさくてありえないほど近い』2005)を取り上げることになるだろう。
 
 

分科会

 
 

近代散文

 

Elizabeth Peabodyの超絶主義と東洋思想
“A Vision” (1843)を中心に

内堀奈保子(日本大学)

 

<発表要旨>

 Ralph Waldo Emersonに代表される超絶主義は、1830年代から1860年代というわずかな一時期にボストンを中心に風靡した限定的な思想にすぎないが、人間主義、個人主義へと大きく舵を切った転換点として、米国思想史において突出した評価を受けてきた。近年の文学研究でも、ときに“masculine rhetoric”と批判される超絶主義が、女性作家の再評価の動きとともに再び注目され始めている。超絶主義は、その出現から二世紀近く経とうとしている現在でも、今なお思想としての訴求力を失っていないといえよう。
 本発表では、超絶主義の立役者の一人であったElizabeth Peabody (1804-1894)に着目し、彼女がどのようにその異端的思想を抱くにいたったのか、彼女のエッセイ“A Vision”を手掛かりに論じたい。Peabodyは、超絶主義の中核人物として、思想の醸成に貢献しただけでなく、編集、出版、書店経営、教師、幼稚園創設、奴隷制反対運動、アメリカインディアン権利保護運動など、思想の伝播に関する多彩な活動を行った。しかし、その精力的で幅広い活躍にもかかわらず、彼女自身の思想については自身の著作が少ないこともあってこれまで十分に顧みられてこなかった。今回取り上げる文学雑誌The Pioneerの第三号の巻頭を飾った“A Vision”は、一人称で書かれた彼女の数少ない著述の一つである。キリスト教理解のパラダイムシフトという困難な偉業に彼女がどのように立ち向かったのか、彼女の東洋思想への傾倒とともに示せたらと思う。

 

現代散文

 

Absalom, Absalom! における

ScottishとしてのThomas Sutpen

木下裕太(武蔵野美術大学・非)

 

<発表要旨>

 William Faulknerにとって最高傑作とも評されるAbsalom, Absalom! (1936)の中心人物Thomas Sutpenは、一般的にアメリカ南部の悲劇を体現する人物として読まれてきている。しかしながら、サトペンの出自を確認すると、ごくわずかな記述ながらスコットランド系の血が入っていることが確認できる。興味深いことに本小説のもうひとりの主人公Quentin Compsonもまた、後にPortable Faulkner (1946)に付けられた“Appendix: Compson 1699-1945”においてスコットランド系の祖先を持つことが唐突に記述されている。この2人の主人公は、共振するかのように成り上がり、同じ土地に根を下ろし、最終的には没落するという人生を歩む。“Appendix”の評価については賛否があるにしても、2人の主人公がスコットランド系の血を引いているという記述は、少々意外でありながら興味深いことである。スコットランド移民が多かったとされるウェスト・ヴァージニアの山村で生まれ、ヴァージニア州タイドウォーターに移り、ハイチに渡り、ミシシッピ州に突然現れるサトペンについて語るクエンティンという、本小説のひとつの鍵は、スコットランド系の血ではないだろうか。
 本発表では、アメリカ旧南部という地域を巡る悲劇そのものとも見なされるサトペンが背負い体現している悲劇が、スコットランド系移民に纏わりつく悲劇も同時に体現しているのではないだろうか、ということを示したい。

 

 

アマストから離れて
ボストン下宿期のエミリ・ディキンスンの「仕事」

金澤淳子(早稲田大学・非)

 

<発表要旨>

 エミリ・ディキンスンは1864年と1865年に眼科治療のため、ボストンに長期滞在している。家族以外の人々を避けるようになっていた頃にあたる。眼の病気の詳細、および詩作への影響についての考察は既に先行研究でなされてきた。そのうえで本発表では、1864年の7か月間、さらに1865年の7か月間にわたるボストン長期滞在が、南北戦争の時期であったこと、また、それに先立つ1863年はディキンスンが生涯で最も詩を清書した時期であったことを念頭に、1865年に清書されたディキンスンの作品を取り上げる。自然に恵まれた閑静なアマストの邸宅とは対照的に、商業地区と隣り合わせのボストンの下宿は、従姉妹たち以外の下宿人もおり、詩作するうえでも決して理想的とはいえない環境であった。慣れない場所で眼科治療に通う不自由な生活を送りながらも懸命に「仕事」をしていたらしいことが、知人に宛てた手紙からも推測できる。ディキンスンがアマストから離れ、戦争の時期にボストンで暮らした経験を経て清書した詩から、自然、社会、詩作に関わる詩を取り上げて精読する。テキストはCristanne Miller編集 Emily Dickinson’s Poems: As She Preserved Them (2016) を用いる。

 

演劇・表象

 

オニールの都市表象

大森裕二(拓殖大学)

 

<発表要旨>

 ユージーン・オニールは、現代文明を生きる人間を本来生存すべき緑の世界を失って彷徨う存在として描いたが、緑の消失した荒地的世界の典型として描かれるのが都市である。ニューヨークを舞台とするTomorrowThe Iceman ComethHughie の3作は、特にこの傾向が顕著と思われる。Tomorrow の主人公ジミーが大切に育てているゼラニウムの鉢植えは、彼の不能性と不毛性のシンボルであるが、同時にそれは都市そのものの不毛性をも暗示的に浮かび上がらせている。The Iceman Cometh では、緑なき灰色の都市文明の様相が喜劇の構造をアイロニカルに模した劇展開そのものによって強調されている。Hughie では、舞台となる安ホテルのフロント係チャーリーが抱く大火事幻想が都市文明の再生の不可能性を伝える一方で、このホテルを定宿とする賭博師エリーの一見自由で華やかな暮らしぶりも、その実態は人間的な縁を発生させることのない不毛で孤独な虚飾の人生に過ぎない。本発表では、これらの観点を中心に上記3作品におけるオニールの都市表象の特性を探り、都市のイメージと緊密に絡み合った各作品の主題、構造、あるいは象徴性を明らかにする。