〈 6月例会のお知らせ 〉
6月27日(土)1時半より
早稲田大学 早稲田キャンパス 16号館106教室
*今回は早稲田大学 早稲田キャンパスでの開催となります。
会場にお間違えのないよう、お願い申し上げます。
詩人メルヴィル再考
分断の時代に Battle-Pieces を読む
司会・講師:古井義昭(立教大学)
講師:宇野雅章(明治大学・非)
講師:斎木郁乃(東京学芸大学)
講師:貞廣真紀(明治学院大学)
コメンテーター:牧野有通
ちょうど160年前、ハーマン・メルヴィルにとって初の詩集 Battle-Pieces and Aspects of the War (1866)が出版された。南北戦争終結の翌年のことである。主に小説で知られているメルヴィルだが、実はキャリア全体を見れば、詩人としての活動時期のほうが小説のそれよりも長い。1857年に最後の長編小説 The Confidence-Man を出版して以降、メルヴィルは詩作品の執筆に移行し、晩年まで詩集を出版し続けた。メルヴィル研究においては、21世紀に入ってから「詩人メルヴィル」を再評価する動きが活発に続いており、その機運のなかでもっとも議論されてきたのがこの Battle-Pieces である。しかし、その難解さゆえ、日本のアメリカ文学研究者のあいだでこの作品が実際にどれだけ読まれているか、あるいは読まれたとしてもどれだけ理解されているかは心もとない。ところが、本作の全訳『南北戦争詩集――近代総力戦のまなざし』(牧野有通監訳、宇野雅章・斎木郁乃・貞廣真紀訳、小鳥遊書房、2025年)が昨年上梓され、日本においてメルヴィルの詩作品を読み、評価する環境が整いつつあるといえる。
そこで本シンポジウムは、登壇者各自の Battle-Pieces 読解を通じて「詩人メルヴィル」の立ち位置を再考する機会としたい。また、現代においてこの詩集を読解することとは、世界的に政治的分断が深まる現代に生きるわれわれ自身を逆照射することにもつながるだろう。特にアメリカ国内では政治的対立が南北戦争の再来を予期させるほどに深刻化しており、「南北戦争」は遠い過去の記憶として片付けることはできなくなっている。苛烈な分断の時代に生きたメルヴィルは、この詩集を通じてどのような文学的応答をしたのだろうか。なぜその応答は小説ではなく詩でなければいけなかったのか。このシンポジウムを機に、 Battle-Pieces を読む意義、この詩集がはらむ問題点、詩人メルヴィルの評価などの諸問題を幅広く考えてみたい。
詩人メルヴィルのまなざし
「ドネルソン砦」を中心に
宇野雅章(明治大学・非)
<発表要旨>
『南北戦争詩集』の副題に関して、本詩集巻末に監訳者による詳細な「訳者解題」が付され、「副題を元来の『戦争の諸相』から『近代総力戦へのまなざし』へと変換した根拠を例示しながら、この詩集の意味を探っていこうと思う」と述べられて、以下「近代文明の技術が展開する戦争」「アナコンダ作戦」等の章題の下、収録作品に基づきながら「この戦争(*南北戦争)の、アメリカ史上のみならず、その後の近代世界における転換点としての意味を凝視する視線、すなわち彼(*メルヴィル)の洞察力に溢れた冷静な『まなざし』の存在が窺われる」ことが論証されている(359)。
一読者として、私は、この「訳者解題」を読むことで副題が変換された理由に納得し、160年前に出版された、アメリカ合衆国の「内戦」を主題とする本詩集を現代において、 21 世紀になっても一向に戦火の止まない現代社会に生きる人類の一員として、読む意義を理解できた。これ以上私が「訳者解題」に付け足すことはないのだが、せっかくの機会を与えられたので、私なりに「近代総力戦へのまなざし」を読み取ってみたい。
そのために本発表では特に「ドネルソン砦」に注目する。「訳者解題」においても、「近代文明の技術が展開する戦争」の章では戦術・兵器の観点から、「アナコンダ作戦」の章においてはさらに具体的に「近代戦争に特徴的な」「港湾封鎖作戦」という視点から取り上げられているが、本発表では総力戦を遂行するためには不可欠である国民総動員を実現させるための戦略と、それを可能にするテクノロジーに対する作者メルヴィルの懐疑と批判がこの詩にはこめられているように思われる点から考察する。この懐疑と批判は、本詩集の出版から10年後、「独立宣言」百周年に合わせて出版された長編詩『クラレル』へと受け継がれ、深められるはずである。愛する人を失った人間の「かなしみ」に寄り添う「まなざし」とともに。
Battle-Pieces におけるエクフラシスの詩学
可読性への抵抗
斎木郁乃(東京学芸大学)
<発表要旨>
1850年代に始まった写真による戦争の記録は、人々の戦争の見方に大きな影響を与えた。南北戦争は、広範囲にわたって写真に記録された史上初めての大規模な紛争とみなされている。Matthew Bradyが派遣した写真家たちやAlexander Gardnerが撮影した戦場のイメージは全米で広く展示され、大量に販売された。大衆はこれらの写真を「何ものにも媒介されないありのままの現実」として消費し、またグロテスクな死体や兵士の切断された肉体のような凄惨な光景に衝撃を受けた。その結果、写真による戦争の表象は、その媒体自体がもつイデオロギーに無頓着なまま受け入れられると同時に、人々が見たくないものは無意識のうちに抑圧され隠蔽されることになる。
Battle-Pieces において、メルヴィルがエクフラシス(Ekphrasis)という古典的な修辞法を取り入れたのは、写真のような視覚メディアが持つ(と考えられていた)可視性に抵抗するためだったのではないだろうか。エクフラシスの定義の変化、すなわち古代ローマの修辞学においては「対象となる題材を、目の前にありありと浮かび上がらせる弁論」とされていたのが、17世紀以降は「絵画や彫刻、あるいはその他の視覚芸術作品が詳細に描写する文学的技法」を意味するようになったことは、表象媒体の前景化が起こっている点で示唆的である。つまり、言語による視覚イメージの表象という二つの媒体を媒介する手続きの複雑さが、そもそも表象し得ないものを表象しようとしているのではないかという表象の不可能性への不安を生むのである。
本発表は、メルヴィルの詩のわかりにくさを、愛国主義、北部の正義、アングロ・サクソンによる支配の再確認といった一つの物語に回収されないための可読性への抵抗と読む試みである。エクフラシス的技法を用いた詩を数篇取り上げ、 Battle-Pieces の読みにくさを、ある種モダニズム的な表象への懐疑の発露として肯定的に評価したい。
「内戦」を編む
Battle-Pieces と大西洋横断報道ネットワーク
貞廣真紀(明治学院大学)
<発表要旨>
報復的な南部再建政策に対する懸念を表明した「補遺」の中で、メルヴィルは、フォート・サムターへの砲撃に始まった戦争を“the Civil War”と呼んでいる。このことは、後年、ウォルト・ホイットマンが同じ戦争を“the Secession War”や“the War of Secession” と呼んだのと対照的である。連邦政府の公式文書においてこの戦争は長く“the War of the Rebellion”と呼ばれていたが、1907年の上院での事実上の了解を経て、1912年に陸軍省内部文書で“the Civil War”として明文化された。このことが示唆するように、1866年の時点でその呼称の選択は自明なものでもなければ中立的なものでもなかった。
「補遺」が単なる後づけではなく、 Battle-Pieces 全体の構想——その構成や、取り上げる出来事、さらには日付の改変に至るまで——を規定していることはしばしば指摘されてきた。本発表もその解釈に立脚しつつ、南北戦争を「内戦」と位置づけるメルヴィルの歴史観が、大西洋を横断する報道の分節的ネットワークを通じて形成された可能性を考察する。南北戦争150周年を機に提起された問題の一つは、戦争を位置づける時間的・空間的な枠組みの拡張だったが、本発表では、そうした拡張が Battle-Pieces についてどのように可能なのかを考えてみたい。
代名詞の政治学
Battle-Pieces における二人の他者
古井義昭(立教大学)
<発表要旨>
本発表は、メルヴィルの詩集 Battle-Pieces が代名詞の使用をめぐる言語戦略により、いかに南北の政治的分断に抵抗しているかを検討するものである。本作が出版された南北戦争直後には、南北双方の地において戦争体験を謳い上げる大量の詩作品が出版されたが、その多くは「我々(we)」と「彼ら(they)」という代名詞を用いて南北の分断を助長するものであった。一方、 Battle-Pieces を通じて南北融和のヴィジョンを提示しようとするメルヴィルは、代名詞の指示対象を曖昧にすることで、北部と南部を二項対立的な友敵構造に収めることを回避し、より包括的な「アメリカ」という共同体へと昇華しようとしている。
本発表では、そうしたメルヴィルの試みが結果的に失敗していると示したうえで、その失敗をむしろ肯定的に評価してみたい。“we”という主語を通じてメルヴィルが示す国家の統一的ヴィジョンは、その不可能性ゆえに、分断されたままの個の姿(pieces)を図らずも描き出しており、政治共同体に回収されない個人の姿を提示できているからである。
ただ、メルヴィルのそうした試みは肯定的にのみ評価しうるものでは決してない。南部白人といういわば「親密な他者(intimate others)」ともいうべき存在を“we”のヴィジョンに半ば暴力的に包摂しているとすれば、メルヴィルは黒人という存在を徹底的に描けていないからである。“we”と“they”という二項対立は、その構図の外部に位置する黒人という第三の存在を不可視化してしまうのであり、その意味で黒人は「残余の他者(residual others)」といえるだろう。本発表では、代名詞の撹乱的使用を通じた政治的分断の超克の試みを詳細に検討することで、その達成と限界を見極めてみたい。
ナサニエル・ホーソーン作品におけるインディアン表象の神学化
精読(Close Reading)と遠読(Distant Reading)接続の方法論的試み
常光健(神奈川大学・非)
<発表要旨>
ホーソーン作品のインディアン表象研究は三つの流れに分かれる。Timothy Powellらは表象が消されたとする抹消論を、Renée Berglandらは幽霊化や置換により形を変えて残るとする残存論を唱え、Michael J. Colacurcioらはホーソーンの植民地暴力への批判的認識を評価した。
本発表は、表象が残存するという洞察を共有しつつ、その機構を幽霊化ではなく神学的転位として捉え直し、語彙のレベルから検討する。植民地暴力を正面から書けない時代の制約のもと、その暴力は sin・guilt・curse という罪の語彙へ転位する。この転位を Theologization(神学化)仮説と名づけ、精読と遠読から検証した。
精読は構造と痕跡の二軸で行い、構造分析では『緋文字』『七破風の屋敷』「ロジャー・マルヴィンの埋葬」などに「負債設置→転位→回収」の三段構造を、痕跡分析では象徴・風景・代替人物として語りに残る表象を、複数作品で確かめた。
遠読では、Direct(インディアン直接語彙)・Symbolic・Sin(罪語彙)・Reconciliation の4層57語から成る Hawthorne Representation Detection System(HRDS)を構築し、104作品・約109万語を解析して、転位を文脈・コーパス・時系列の3レベルで検証した。Direct語彙とSin語彙は5語以内で共起せず空間的に分離し(文脈)、Sin語彙の現れる63作品で Spearman の順位相関に有意な負の相関が認められ(コーパス)、章・細分単位では Direct語彙が先に現れ減少した後Sin語彙が増えた(時系列)。
以上より本発表は、神学的語彙を用いて植民地暴力と向き合い、和解を願った作家として、ホーソーンを新たに位置づける。
「まじりっけ」ないものと境界の攪乱
Flannery O’Connor の “A View of the Woods” にみるエコゴシック性
加藤安沙子(東京大学・院)
<発表要旨>
Flannery O’Connor の短編 “A View of the Woods” では、森林が開発の対象となり、徐々に切り崩されていく様子が描かれる。 環境破壊を主題とする 本作はこれまでにエコクリティシズムの視座から分析され、家族間の暴力と自然破壊との連関が指摘されてきた。本発表ではこうした先行研究を踏まえつつ、エコクリティシズムの潮流に位置付けられる批評分野である「エコゴシック」の観点から本作の再読を試みる。エコゴシックは Simon C. Estok による「エコフォビア」(自然嫌悪)の提唱を契機として2010年代以降に発展してきた理論であり、自然を無条件に価値づける従来の視点を相対化しながら、人間が自然を異質な他者とみなして恐れてきた歴史的・文化的構造を明らかにする。この視点に立つとき、 人間と非人間の関係に潜む緊張や暴力性が可視化され、 本作における自然の侵犯と弱い者(子供)への暴力を並置して理解することができるようになる。
“A View of the Woods” では、土地を売却して開発を進めようとする祖父Mark Fortuneと、彼の庇護を受けながらも徐々に対立を深めていく孫娘Maryとの関係が描かれ、やがては祖父による孫の殺害という結末へと至る。本発表ではこの暴力的な帰結を、自然表象との関連の中で捉え直すことを試みる。まずはMarkとMaryの関係を手がかりに、本作における土地開発、家族内の暴力、自然表象がどのように結びついているのかを検討していく。さらに人間と非人間、進歩と自然、所有する者と所有される者といった境界が、作中では必ずしも安定したものとして描かれていない点に注目し、二項対立を攪乱する作中の描写を分析する。以上を通して“A View of the Woods”が単なる自然破壊の批判にとどまらない、人間の一元化への欲望そのものを問い直すテクストであることを提示したい。
*この度、案内ハガキにおきまして、加藤安沙子先生のご所属の記載に誤りがございました。ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
Elizabeth Bishopの彩色
笠原一郎(成城大学・非)
<発表要旨>
エリザベス・ビショップの詩を読んでいると、アメリカの詩人の中でもとりわけ色彩の描写が豊かである印象を受ける。もちろん、各色の登場回数をコンコーダンスで確認したわけではなく、他詩人との定量的な比較を行ったわけでもない。また、彼女は風景や事物の客観的かつ緻密な描写で定評のある詩人であり、色への言及が多くなるのは必然とも言える。しかし、そうした背景を踏まえても、ビショップの色彩表現には特筆すべき魅力がある。例えば、最初の詩集の巻頭を飾る「地図(“The Map”)」は色彩そのものを主題化しているし、他にも色の存在が作品の雰囲気やテーマを主導しているような作例は少なくない。ここでの色彩は、特定の意味を指し示す「象徴」ではなく、ボードレールやランボー、あるいはカンディンスキーに見られるような「共感覚(synesthesia)」とも異なる。本発表では、図式的な解釈に陥ることを避けつつ、ビショップの独自の「世界の見方」と色彩との関係について考察したい。
カブキはロックになり得たか
劇団四季『イエス・キリスト=スーパースター』にみる異文化翻案の葛藤
武田寿恵(明治大学・非)
<発表要旨>
1971年にブロードウェイで初演されたロック・オペラ Jesus Christ Superstar は、1960年代後半にアメリカの若者たちの間で生まれたカウンター・カルチャーを背景に、ロック音楽によってイエスを「神」ではなく一人の苦悩する人間として描き出した。こうした挑戦的な内容から、本作は「演劇的冒涜」(Guy Flatley)との酷評を受けたほか、保守的なキリスト教徒たちが上演中止を求めるなど、大きな論争を巻き起こした。
1973年、劇団四季は本作を『イエス・キリスト=スーパースター』と改題し、日本の観客に向けた翻案を試みる。その際に取り入れられたのが、隈取や様式化された身体表現といった歌舞伎的演出だった。しかし、音楽評論家の安倍寧が当時を振り返り、「客席に熱狂的雰囲気があったとはとうてい言い難い」と述べる通り、その演出は観客の十分な支持を獲得することはできず、興行的にも苦戦を強いられた。
劇団四季版の特徴は、アメリカ発のロック・ミュージカルを日本の演劇文化の中で再構築しようとしていた点にある。とりわけ、新劇団として出発した劇団四季が、リアリズムではなく歌舞伎的様式に接近した事実は、その翻案の困難さを示している。よって本発表では、1970年代の日本におけるアメリカ文化受容と日本演劇の交差という視点から、劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』を検討し、その葛藤と実験性について考察する。